神戸散歩(10) 神戸港震災メモリアルパーク。

日本は地震国である。
先週初めにも大阪北部で大きな地震があったが、平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災は、死者・不明者6400人余、建物の全半壊25万棟余という凄まじいものであった。その後、平成23年(2011年)の東日本大震災という桁外れな大災害にも襲われるが、阪神・淡路大震災も桁外れな大災害であった。
その年の夏、神戸へ行った。大震災後半年が経っていたが、三宮の駅前にはまだ瓦礫が積まれていた。JRの電車の窓から見た長田の町はブルーシートだらけであった。北京オリンピックの前年の北京の町もあちこちブルーシートで覆われていたが、この二つの町のブルーシート、半端なものではなかった。私の見たブルーシート2景である。
それはともあれ、阪神・淡路大震災では神戸港も大きな被害を受けた。
メリケンパークの一画に「神戸港震災メモリアルパーク」がある。前日夕刻メリケンパークへ行った時には、この「神戸港震災メモリアルパーク」を見逃していた。で、翌日、ベイクルーズへ行った折りに寄ってみた。
小さな施設である。しかし、地震国・日本を考える場合、触れるべきであろう。

「神戸港震災メモリアルパーク」、ここである。

入る。

水を飲む蛇口がある。
何故、蛇口があるのか、不思議なんだ。
7年前の東日本大震災の折り、被災地へ行こう行こうと思いながら交通手段と宿の目途がたったのは、翌年初めであった。釜石から気仙沼までバスで行くことができるようになった。宿も何とかとれた。途中、大船渡へは盛からタクシーで行った。
タクシーの運転手は「大船渡はすっかり流されてなにもありませんよ」と言っていた。それでも「行ってください」と言って大船渡へ行った。20〜30分走り、「ここが大船渡の駅のあったところです」というところに車は止まった。本当に何もなかった。
が、水道の蛇口、水飲みの蛇口がひとつ残っていた。
そのことを思い出す。震災と蛇口。

メモリアルパーク。

お読みいただけるであろう。

こういう日々だった。

こういう展示がある。
以下、思いを巡らせていただきたい。








復興計画、すべて成されている模様。

ごく一部であるが、神戸港メリケン波止場の一部が大震災時のままに残されている。

このように。

このように。

このように。

このように。
震災遺構である。

すぐ近くに昭和32年の宮中歌会始の折りの平成天皇の歌碑がある。
   港まつり
     光りかがやく 夜の舟に
    こたへてわれも 
     ともしひをふる
平穏な歌。
大震災の前である。