研究論文と非研究雑考。

第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争、何と呼ぼうと、それにまつわる書籍は多い。
今年刊行された鈴木多聞著『「終戦」の政治史 1943−1945』(2011年、東京大学出版会刊)は、研究書。著者の博士論文に、加筆、補正したものだ。
著者である鈴木多聞、東大大学院で学んだ後、ボストン、ワシントンDCへ長期研究留学し、現在は、東京大学大学院総合文化研究科学術研究員。30代半ばの研究者であるから、今が勉強のしごろ、というところじゃないか。
論文故、「序論」から始まり、「第一章 統帥権独立の伝統の崩壊」、「第二章 東条内閣の総辞職」、「第三章 鈴木貫太郎内閣と対ソ外交」、「第四章 ポツダム宣言の受諾」、そして、「結論」で終わる。ソッケナイ、といえばそうも言えるが、整然としている、といえばそうだ。
タイトルにある”1943−1945”は、絶対国防圏が設定された1943年9月30日の御前会議の決定からが、対象となっているためだ。
日本、1941年12月8日の真珠湾攻撃の後、東南アジアのあちこちへ進軍、勝ち戦を続けていた。しかし、それも半年ばかり、1942年6月のミッドウェーでの海戦で大敗する。それ以降は、もういけない。1943年も、初っ端にはガダルカナルからの撤退、山本五十六の戦死、アッツ島玉砕、・・・・・、敗北への道が始まる。
いや、こんなこと、鈴木多聞が書いていることじゃない。鈴木多聞は、こう書いている。例えば、第一章、鈴木多聞、御前会議における陸海軍の不統一、天皇の戦局に対する失望、さらに、昭和天皇の発言とその政治的影響、ということを記す。<対外戦争を遂行する上で、天皇、陸軍、海軍は、それぞれ、国内における他勢力との「もう一つの戦争」を戦わなければならなかった>、と。
鈴木多聞、「あとがき」の中で、こう記している。
<本書は戦争末期の日本の政治外交に焦点を当て、国内の各政治勢力の対立と妥協がどのような外交・軍事・経済政策の決定を生み出したのか、という点を実証的に描こうとしたものである。いわば、「負け戦の政治史」である>、と。
論文ではあるが、読みづらいものではない。ほとんどが、引用である。先達の文献を読みこなし、それを考証、検証し、それに自らの論考を加える。論文作成の常道であろう。専門書や研究書ばかりじゃなく、私でも見知った一般書も出てくる。学者という者、何でも読むんだ。
巻末に、参考文献があげられている。それが、二段組みで15ページに渉っている。1ページに、おおよそ40近い文献があげられているので、全部では、5〜600になる。
昨日、一昨日の「文言」に記した『天皇の終戦』も、その底本である『昭和史の天皇』も入っている。前者は1冊だが、後者は全30巻である。他にそういうものもあろう。それを考えると、1編の論文を纏めあげるには、5〜600に倍する文献を読みこんでいるのだろう。学究の徒も、ご苦労なことである。
それはともかく、巻末には、人名索引もある。名前とこの書に出てくるページが。さまざまな名前が記されている。
頻度は少ないが、チャーチル、ルーズベルト、スターリン、ヒトラー、蒋介石、毛沢東の名も。始皇帝、楠木正成もあれば、野坂参三の名まである。
しかし、出てくる頻度がダントツに高いのは、昭和天皇。これは当然。昭和史を語ろうと、戦争を語ろうと、昭和天皇がメーンを張るのは、当たり前。
次いで頻度の高い人が8人いる。
阿南惟幾、梅津美治郎、木戸幸一、近衛文麿、鈴木貫太郎、東郷茂徳、東条英機、米内光政の8人。皆、同程度の頻度であるが、中では木戸幸一が少し多い。やはり、木戸幸一が。
寺崎英成が纏めた『昭和天皇独白録』に、こういう個所がある。同書中、半藤一利が書いている「注」に。
<天皇発言を全体をとおしてもっともよくでてくる名に木戸幸一がある。しかし、天皇の木戸評はない。ばかりでなく、天皇の人物評の裏にたえず木戸の情報がちらちらしている。・・・・・>、との。
内大臣・木戸幸一、どうも、昭和天皇の黒幕的存在であったのじゃないか。だから、鈴木多聞の論文にも出てくる頻度が高くなる。
鈴木多聞の人名索引を見ている内に、ヘンなことに気がついた。永田鉄山の名がない。
”もし永田が生きていたら、昭和史は変わっていただろう”、”永田鉄山ありせば、太平洋戦争は起きなかった”、”永田が生きていれば、東条英機が出てくることもなかっただろう”、と言われる永田鉄山の名がない。
統制派の永田鉄山が、陸軍省内で皇道派の相沢三郎に斬殺されたのは、昭和10年(1935年)。1943年から1945年、終戦末期の考察には出てこなくても、致し方ないか。
半藤一利、秦郁彦、平間洋一、保阪正康、黒野耐、戸高一成、戸部良一、福田和也による座談会を纏めた『昭和陸海軍の失敗』(文春新書、2007年刊)に、永田鉄山と東条英機について語っているところがある。
皆さん、永田鉄山については、抜群に優秀、と言っているが、東条英機については、努力の人ではあるが、どうも、と異口同音。福田和也などは、<彼をチャーチルやルーズベルトといった他の戦時指導者と比べると、これは比較になりませんね。スケールが全然小さい>、と言ってのける。
しかし、東条英機は、最後まで、昭和天皇の信任は厚かった。昭和19年7月に東条内閣が倒れた後も。だから、鈴木多聞の論文での頻度は高い。
それにしても、こう思う。1943年から1945年にかけて、日本を動かしていたのは、鈴木多聞の書に出てくる頻度の高いこれらの人たちなのだな、と。
昭和天皇と8人の男。
考えれば、これらの人たち、木戸幸一は、政治家といえばそうではあるが、昭和天皇の黒幕じみた側近。近衛文麿は、評判の悪いお公家さん政治家。東郷茂徳は、外交官。あとの人たちは、すべて軍人。戦争の時代、そうであったのだ。鈴木多聞が考察する、”天皇と、陸軍と、海軍、それぞれが他の敵と戦っていた”んだな。
鈴木多聞の研究論文を読み、研究にあらざる雑駁な考察、非研究の雑考を為した。