遠州三山巡礼(2) 可睡斎。

遠州へ戻る。
法多山で河瀬和世のインスタレーションを観た後は、久しぶりで天竜二俣の秋野不矩美術館へ行こう、と思っていた。袋井のすぐ先、2駅先は掛川。掛川から天竜浜名湖線で天竜二俣へ入る。10年前に行った。秋野不矩のインドの絵、また藤森照信設計の建物自体も素晴らしい。
が、行かなかった。予定を変更した。遠州三山を知ったから。
もとより、「遠州」と言えば「森の石松」ぐらいしか知らなかった。「遠州三山」なんて知らなかった。「遠州三山」に切り替えた。
昼前、法多山からホテル観世へ戻り、昨秋以来の居合わせたオーナーと30分ほど話し、バスで可睡斎へ行った。

可睡斎、家康ゆかりの禅寺らしい。

曹洞宗の寺である。

山号は萬松山。

可睡斎の案内板。
いやー、大寺である。

応永8年(1401)、如仲天裎禅師により開山されたようだ。

山門。

伊東忠太によるものだという。
伊東忠太だ。
伊東忠太については思いいれがある。この雑ブログでも何度か触れている。

山門をくぐると数多くの風鈴が迎えてくれる。
禅宗の「○相(えんそう)」に因んだ御縁日風鈴だそうだ。その数、2000。

活人剣。

明治28年、日清戦争の講和条約に因んだ「活人剣」。
今では、李鴻章の名を知る人も少なかろう。

境内、さまざまな堂宇が立ち並ぶ。
法堂。

大黒天。

幾つかの堂宇巡りに。

向こうに赤富士風鈴が見えてくる。

枯山水の庭園に赤富士。

約1000個の赤い風鈴。

枯山水に赤い風鈴。

法華蔵界の池。

赤富士風鈴を見ながら、水無月ぜんざいと冷茶をいただいた。
美味かった。

東司。
トイレである。

これほど優美なトイレは初めて見る。

中央に烏枢沙摩明王の像。
作者は高村晴雲。

もちろん現役のトイレ。
それにしても美しい。

堂宇巡り、中は広い。

長い廊下が続く。

法堂の聯。

その説明書き。

このようなものがあった。「告諭」。

瑞龍閣へ入る。

瑞龍閣内の絵の作者・山口玲煕は、このような人。

すべて山口玲煕の作。

これも。

これも。

これも。

格天井のこれらも。

素晴らしい。

こちらの格天井も。

美しい。

盛りだくさんの可睡斎を堪能し、山門を後にした。
1軒だけ開いていた食堂で昼飯を食った。
遠州三山、残るはあとひとつ、油山寺である。
が、油山寺への交通手段がない。歩くと30分ではとても行きつかない。私にはとても無理。食堂でタクシーを呼んでもらう。

食堂の壁にこのようなポスターが貼ってあった。
<遠州三山 自分巡礼の旅>、とある。
遠州三山自分巡礼、あとひとつ油山寺へ向かう。


一昨日、スティーブン・バノンが更迭された。
辞任でもあり解任でもあるもやもやっとしたものだが、いずれにしろスティーブン・バノン、トランプ政権を去った。
TPPをぶっ壊したのも、パリ協定からの離脱も、それを主導したのはスティーブン・バノンである。とんでもない男であった。どだいこの男を政権の中枢に据えたこと自体がおかしいが、それがトランプ流なんだから始末に負えない。
とんでもない男は、困ったことに才能だけはある。スティーブン・バノン、更迭されたその日に古巣の極右ニュースサイト・ブライトバートの会長に返りざき、「オルトライト」の牙を剥いている。
解任されたにもかかわらず、「トランプの敵と戦う」、と語っている。困ったものだが、これがアメリカの一現実なんだな。
反トランプで抗議行動をしている者もいるが、シニカルな目で見ているだけの者もいる。洛西の常寂光寺で行きあったサンフランシスコから来たという親子も、この口である。あのバカどもめ、と冷たい目で見ているだけ。トランプが破綻するのを。その間、オルトライトのスティーブン・バノンは、あることないこと正真正銘のフェイクニュースをまき散らすであろう。
困ったアメリカ。


やはりこの日の夜、NHKで「華族 最後の戦い」の再放送があった。
昭和天皇の側近中の側近・侯爵木戸幸一に的を絞ったドキュメンタリー。
木戸幸一、五摂家筆頭の近衛文麿を近衛、近衛と呼び捨てにする。学習院で木戸幸一の方が1年先輩なんだ。それはともかく・・・
木戸幸一、食うに食えない男である。
戦後、戦犯として捕えられ極東軍事裁判で昭和天皇を擁護する。天皇の戦争責任を回避するために。責任をすべて、東条英機をはじめとする陸軍に押しつける。
木戸幸一とはどういう男か。
『昭和天皇独白録』(文藝春秋 1991年刊)書中、注記を記している半藤一利はこう記している。
<・・・・・。しかし、天皇の木戸評はない、ばかりでなく、天皇の人物評の裏にたえず木戸の情報がちらちらしている>、と。
東条英機の発言でひと悶着はあったが、東条英機はそれを受けとめる。昭和天皇を守る。
このことは以前にも記したことがあるが、昭和天皇の戦犯訴追を防いだ最大の功労者は、ダグラス・マッカーサーと東条英機である。
元侯爵・木戸幸一の戦後はどうか。7年ばかりを巣鴨プリズンで過し、釈放される。1952年、日本がサンフランシスコ講和条約で主権を回復した時の昭和天皇の詔書に木戸幸一、言外にアレッという顔をする。
木戸幸一、それ以前より、昭和天皇は然るべき時、具体的には講和条約が結ばれた時に退位されるのがよろしい、と考えていた故である。が、昭和天皇は退位されなかった。
昭和天皇、生物学のご研究、また時折りの相撲見物で国民には知られた。その状況を皇太子であられた明仁親王殿下、現在の今上天皇はよく見ておられたのだ、と私は考える。
象徴天皇であるが、天皇のなすべきことがある。それは、昭和天皇がなされなかったことだ、と。今上天皇はそれらを次々にこなしてこられた。世界の王室を見渡しても最もノーブルなお妃であられる美智子皇后のサポートを得て。
8月、今上天皇の思い、今上天皇への思い、さまざまに交錯する。