主従二人(那須)。

仲間のIとOから、昨夜急逝した島谷の葬儀は来週、との連絡があった。日中、島谷の展覧会の図録を見ていた。
夜、主従二人のおっかけをする。
一昨日、玉入で泊まった芭蕉と曽良の二人、昨日は、黒羽を目指し、北関東の野原を歩いている。近道をしているのだが、関東平野は広い。
ここからは、事実ではなく、芭蕉の創作、フィクションになるらしい。こういう話である。
途中、草を食んでいる馬が目についた。で、草刈りをしている男に頼む。馬を貸してくれないか、と。「どうするかな。しかし、この辺は道があちこちに分かれていて、初めての人では迷ってしまうだろう。よろしい。この馬が歩みを止めるところまで行って、そこで馬を返してくださればいい」、と言って貸してくれる。
このくだり、山本健吉は、<韓非子の老馬の智に基づいた、謡曲『遊行柳』による作為、との先人の説がある>、と書いている。回りくどいが、要するに、賢い馬の話であろう。
借りた馬の後を、草刈りの子供が2人、走ってついてくる。ひとりは小さな女の子で、名前を聞くと、「かさね」、と言う。ホー、こんな田舎の小娘にしては、なんて優しげな名であることよ、と記し、
     かさねとは八重撫子の名成べし     曽良
と続ける。
かさねという可憐な名前の女の子、花に譬えるならば八重撫子の名であろう、とでもいう意であろう。
なお、山本によれば、かさね(襲)には、撫子という色目のものもあり、嵐山によれば、この句も曽良が詠んだものではなく、芭蕉の吟であるそうだ。
ここで芭蕉が創ったこの挿話、草刈りの男の対応といい、小娘の名を洒落た「かさね」にしたり、どうしてなのかな、と考える。
江戸暮らしの芭蕉、あまりにも広い北関東の野っ原を歩いている内に、鄙には稀な、という話をここらでひとつ、とでも思ったのかな、と考える。