主従二人(白川の関)。

いよいよ奥へ、細道へ入るぞ、とやや心許ない日々を重ねていたが、白川の関にかかって旅心定まった、と芭蕉は書いている。
主従二人、関東平野に別れを告げ、いよいよ奥州へ入る。その昔、平兼盛が「いかで都へ」、と便りをしようとしたというのも肯ける、とも書いている。
その平兼盛の歌は、『菅菰抄』によれば、
     便あらばいかで都へ告やらんけふ白川のせきはこゆると
白川の関、少し大袈裟にいえば、異邦への入口だったんだ。
白川の関は、古くから勿来の関、念珠の関と共に三関のひとつであり、詩人や風雅の心を持つ人たちはみな、心をここに留めている、とも芭蕉は記す。
その後、”秋風を耳に残し”、”紅葉を俤にして”、”青葉の梢”、”卯の花”、”茨の花”、”雪”、という言葉が、芭蕉の地の文には出てくる。これらの言葉すべて、能因法師や源頼政など、先人の歌を踏まえたものだそうだ。煩わしいので引かないが、『菅菰抄』には、本歌と歌人の名が出ている。芭蕉、歌そのものは記さず、その風雅な俤を地の文に留めたものとみえる。
古人は、この関を越える時には、冠を正し、衣服もきちんと改めた、と平安末期の歌人、藤原清輔の著『袋草子』に出ている、と書いた後、曽良の句を載せている。
     卯の花をかざしに関の晴着かな     曽良
古人は、冠を正し、正装で越えたという白川の関だが、私はせめて其処らの卯の花をかんざしとして髪に挿し、それを晴着がわりにして越えようか、というところだろうか。
曽良、生真面目な男ではあるが、なかなか洒落たところもある。

菅直人内閣、今日発足した。仙石由人を官房長官、司令塔につけ、随分すごい内閣を作っちゃった。
つい1週間前には、まだ小沢一郎が酒を飲みながら、”さてこの後どうするか”、と考えていたのだから。誰が、こんな小沢色のない内閣ができるなんて考えていたか。1週間前には、2割を切っていた内閣支持率が6割前後に上がった、という。国民も現金なものだ。ま、すぐ上がるということは、何かがあると、すぐ下がる、ということでもあるが。
閣僚もそうだが、党役員人事も中央突破でいった。枝野幸男が幹事長になるなんて、1週間前、誰が考えただろうか。党首選に立った樽床伸二を国対委員長につけ、復活した政調会長には玄葉光一郎をもってきた。これもすごい。彼らの年齢、46、50、46だ。
たしか彼ら3人だったと思うが、自民党の幹事長・大島理森以下の党三役に、挨拶に行っていた映像があった。行った3人と、迎えた3人、その対称、際だっていた。何も、若けりゃいいってものではない。しかし、やはり自民党も若返えらなきゃいけない。日本のためには、そう思う。
これで今夏の参院選、民主党に今一度、となるだろう。これで負けたらおかしい。
問題は、その後。財政再建、普天間、難問ばかり。乗りきれるか否かの確率は、五分五分だろう。
それにしてもここ数日、首班となった菅直人よりも誰よりも、最も多く眼にし、耳にした固有名詞は、小沢一郎だったような気がする。小沢一郎、改めてすごいと思う。稀代のトリックスター・小沢一郎、ギヴアップしない男だ。我々凡人がアッと驚く芝居を、まだ観せてくれるかもしれない。