主従二人(間違い)。

ワールドカップの中継を見ながらブログを書いていると、やはり、間違いが出てしまう。
頭も、目も、キーを打つ指も、サッカー観戦7割、芭蕉の追っかけ3割、ということになってしまう。
昨日の「主従二人(あさか山)」、間違えた。
昨日、6月16日(旧暦4月29日)、芭蕉と曽良の主従二人が、”長く世話になっていた等窮の屋敷を出て、あさか山に向かった”と書いた。これが間違いだった。
昨日、等窮の屋敷を出たのは、事実である。しかし、あさか山へ行ったのは今日だった。私の間違えであるが、芭蕉の文章にも幻惑された。芭蕉の記す原文は、こうである。
<等窮が宅を出て五里計、檜皮の宿を離れてあさか山有>、というものだ。その後、<此のあたり沼多し。かつみ刈比も・・・・・>、と続く。これでは、等窮の屋敷を出た後、20キロばかり行ったあさか山に向かったのだな、と思ってしまう。
ところが、事実は、”等窮が宅を出て”は、昨日、それに続く”五里計・・・・・”は、今日のことなのだ。ひとつのセンテンスに、昨日と今日、時間差のあることを、何の但し書きもつけず書いてしまう。我々凡人には及びもつかぬ芸当だが、芭蕉にとっては、こんなことはお手のもの。文章の姿、形、趣きが第一だ、と考えているのだから。
細かい事実関係のことなんかは、秘書役の曽良の務めなんだ。そのことは、私も解かっているのだが、昨日はそれを怠った。ワールドカップに気を取られていたこともあるが、曽良の『旅日記』、昨日の記述が長いんだ。
須賀川に滞在していたそれまでは、一日1行しか書いていなかった。1行どころか、数日前には、<小雨ス>、という3文字のみしか書いていない。それが、昨日からこのあと暫く急に長くなる。あまりに長いので、昨日は、曽良の記述をすっ飛ばした。それが、間違いの元であった。”事実関係は、曽良に”、の鉄則を怠った。
芭蕉は何も書いてはいないが、曽良によれば、昨日は、等窮の屋敷を出た後、石河滝を見に行ったり、神宮寺というお寺へ参詣したり、雪村の歌仙絵を観たり、狩野探幽の絵を観たりしている。そして、夕刻前に郡山で泊まっている。むさ苦しい宿であった、とも書いている。
昨日、福島で泊まった、と書いたのも間違いであった。これも、芭蕉の記述に惑わされた。福島の宿に泊まったのは、今日であった。考えてみれば、そうである。いかに健脚の二人であるとはいえ、須賀川から福島まで1日で行くのは、大変だ。
グーグル・アースで測ってみたら、須賀川から郡山まで直線距離で20キロ近くある。郡山から福島までは、直線距離で40キロほどある。芭蕉と曽良の二人、昨日は25〜6キロ、今日は50キロ近く歩いていることになる。もっとも今日は、一部馬に乗ってもいるようだが。それにしても、江戸期の人はよく歩くものだ。
曽良の『旅日記』、今日も長々と書いている。<天気快晴>、から始まって、あさか山や黒塚に行ったことや、福島の宿に入ったことが。今日の曽良の日記の最後は、<宿キレイ也>、である。
アルゼンチン対韓国戦、ひょっとしたら、と思っていたが、自力の差は歴然だった。アルゼンチンが4対1で勝った。パク・チソンの動き、今日は押さえられた。
イグアインがハットトリックを成したが、やはり主役は、メッシでありマラドーナであった。イグアインのゴールすべてにメッシが絡んでいた、と言ってもいい。メッシ自身のゴールは成らなかったが、メッシの動き、素晴らしい。
マラドーナもよかった。タッチラインを切って転がったボールを、左足でポンとヒールキックした。
マラドーナ得意の左足キック、他の監督ではこのような芸当はできないであろう。