大ちゃん、間もなく定年。
大ちゃん、来月9日に満65歳となり、日本相撲協会を定年となる。
昨日打ち挙げた大相撲11月場所中日のNHK正面解説は、大ちゃんであった。
元大関朝潮太郎の高砂親方、大ちゃんの愛称で知られた。
私の好きな力士であった。
近大の時、2年にわたり学生横綱とアマチュア横綱を取っている。
昭和53年(1978年)3月場所、幕下付出で初土俵。大ちゃん、愛くるしい。
同年11月場所、初土俵からわずか5場所で入幕する。
昭和55年(1980年)5月場所、新三役に。
現役時代の大ちゃん、身長183センチ、体重も183キロ、あんこ型の力士であった。
立ち合いのぶちかましで、額がよく切れた。これも大ちゃんの魅力であった。
そう言えば、最近は「あんこ」や「そっぷ」という言葉を聞かなくなった。どうしてだろうかな。
私は今でも「あんこ型」の力士が好きである。例えば千代大龍のような。
昭和58年(1983年)、大ちゃん大関に昇進する。
今と違って強い横綱がいた時代である。輪湖の輪島と北の湖、三重ノ海、さらに千代の富士、と。
優勝決定戦へも3度出るが、いずれもはね返される。
昭和60年(1985年)、大ちゃん、ついに初優勝。
優勝パレードの旗手には幕内から十両へ落ち引退表明をしていた富士櫻を指名した。大ちゃん、自分をここまでにしてくれたのは兄弟子の富士櫻あってこそ、との思いがあった模様。
あの時代、強い力士がひしめいていた。
憎らしいほど強いと言われた北の湖は、その筆頭であった。
が、大ちゃん、その北の湖に13勝7敗とダブルスコアに近い結果を残している。憎らしいほど強いと言われたあの北の湖に。大ちゃんはこの日、「北の湖とは取りやすかった」と語っている。
昭和64年(1989年)、大ちゃんは引退し親方となる。
引退後、9人の関取を育てた。
筆頭はやんちゃな横綱・朝青龍だ。大ちゃん、朝青龍には振り回された。相撲協会から監督責任を問われ、2階級降格処分を受けた。
大ちゃん、それでも腐らず一両年の内には横綱になるであろう朝乃山を育てた。自らの定年までには間に合わなかったが。
現役時代の大ちゃんの笑顔。いいねー。
再雇用制度で協会には残ると言うが、大ちゃん、表舞台からは消えていく。寂しい。
今日、横審は、休場が続く鶴竜と白鵬の二人の横綱に「注意」の決議をした。
「注意」、「引退勧告」に次ぐ重い決議である。