ライフ・イズ・カラフル!

初来日は1958年。60年安保の前、日本はまだ政治の季節であった。
中国へは1979年に行っている。文化大革命が終わってまだ2年しか経っていない時代。中国人のほとんどは人民服を着ていた時代である。そこへパリのファッションを持ちこんだ。驚くべき臭覚である。
モスクワの赤の広場でファッションショーを行なったのは、ソ連崩壊の年、1991年。その2年後、私もモスクワへ行ったが、ソ連からロシアとなっていた国、アメリカと対峙していたかっての超大国はどこへ行ったかという貧しい国であった。この男は、そこへ乗りこむ。
ピエール・カルダンである。
1922年生まれのピエール・カルダン、98歳となる今も元気である。
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「未来をデザインする」は確かにそうであるが、カルダン、「未来を創っていく」んだ。
マーケットも創る。人民服を着ている人たちで溢れる国や、共産主義の軛からは外れたが食い物の心配をしなければならない国に乗りこみ、そこに将来を見据えたマーケットを創る。他のデザイナーが思いもつかないことに踏みこんでいく。
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『ライフ・イズ・カラフル!』、監督:P・デビッド・エバーソールとトッド・ヒューズ。この2人、プライベートでもカップルだそう。「らしい」ね。
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イタリアで生まれたカルダン、ファシズムの台頭を逃れ一家でフランスへ。
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カルダン、世の中を変えると言う。ファッションを世界中の大衆に広める、と。
商魂もたくましい。幅広いライセンス戦略を打ち出す。飛行機からタオルまでその数800点。何でもかんでもピエール・カルダンのロゴをつけた。
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日本人にとっては、カルダンといえば松本弘子が頭をよぎる。前髪を切り揃えた松本弘子。彼女ばかりじゃなく黒人のナオミ・キャンベル、カルダンはモデルにも多様性を求めた。
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多くの人にインタビューをしている。
ジャン・ポール・ゴルチエ、シャロン・ストーン、グオ・ペイ、森英恵、桂由美、つい先般死んだ高田賢三にも。
カルダン自身、ジャンヌ・モローとの愛の日々を語っている。ジャンヌ・モローの面前で。その時のジャンヌ・モロー、手で顔を覆うが、満更でもないという表情であった。まあ、大物どうしだ。
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ピエール・カルダン、98歳。瀬戸内寂聴と同い年である。
共に、まあお元気、おめでたい。