死刑台のエレベーター。

ルイ・マルは、1958年弱冠25歳の時に『死刑台のエレベーター』を創った。
主演はジャンヌ・モロー(とモーリス・ロネ)。マイルス・デイヴィスが撮影されたフィルムを見ながら即興で曲をつけた。ルイ・マルとジャンヌ・モロー、それにマイルス・デイヴィス、この3人の異能が素晴らしい作品を作りあげた。ヌーヴェル・ヴァーグの魁、日本の若造どもの心をワシ掴みにした。
10年ほど前、ニュープリント版が公開された。その時の模様は「流山子雑録」にも記した。その時ばかりじゃなく『死刑台のエレベーター』についてはこのブログに何度も、おそらく7、8度は記している。何かにつけ繋がるんだ。ヌーヴェル・ヴァーグがらみ、ジャンヌ・モローがらみ、マイルス・デイヴィスがらみ、と。
はや2年半となるが、2017年7月31日にジャンヌ・モローが死んだ。
キネマ旬報シアターはすぐさま反応した。
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『死刑台のエレベーター』のポスターが貼り出された。
9月初めから2週間公開、と。
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館内にはこのようなディスプレーも。
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このパネル、ジャンヌ・モロー、ジャンヌ・モロー、ジャンヌ・モロー。
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フランスの女優、いわゆるキレイキレイな女優でなく、深みのある美を内包する女優が好きだった。
古くはシモーヌ・シニョレ、次いではジャンヌ・モロー、そしてアヌーク・エーメ。美しいフランス女と言える。
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この時、ジャンヌ・モロー、30歳。
口をへの字に結び、こちらを見る。これほど仏頂面が絵になる女優はいない。
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こういうパネル。
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こういうパネル。
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『死刑台のエレベーター』、追悼上映。
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2013年に封切られた『クロワッサンで朝食を』も同期間に。
ジャンヌ・モロー、パリに一人住むエストニア出身の老女を演じた。ジャンヌ・モロー、85歳の時。この作品が最後の作品であった。
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何度目かとなる『死刑台のエレベーター』。
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キネ旬のパネルにこのような場面がある。
『死刑台のエレベーター』についての記事。
読みづらいが、右側のキネ旬によると、1958年9月下旬号である。
表紙写真はタイナ・エルグ(Taina Elg)。特集「モンパルナスの灯」、批評「鉄道員」、さらに、「石原裕次郎と日本映画」、「飯田蝶子の庶民性 今日の傍役」、新藤兼人のシナリオ「夜の素顔」の文字がある。60年以上前、時代、時を感じる。
それはともあれ『死刑台のエレベーター』である。
「ジュテーム、ジュテーム」、電話で愛の言葉を交わす男と女。男は恋人である女の亭主を殺すが、何たること、エレベーターの中に閉じ込められる。待ち合わせの場所に現れない男を探し、女はパリの街中を彷徨い歩く。夜のパリの街中を。
マイルス・デイヴィスのペットがそこに被さる。ミュートをつけた鋭く切り裂くようなペットの音が。堪らない。
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ルイ・マル、ジャンヌ・モロー、そしてマイルス・デイヴィス。ジャンヌ・モロー30歳、マイルス・デイヴィス32歳、ルイ・マル25歳。
みな死んじゃったが、この頃は若かったんだ。才に溢れ、パワフル。