マイルス・デイヴィス クールの誕生。

「人生は冒険であり挑戦だ。安定を求めるものじゃない。創造を続けるには変わることだ」、マイルス・デイヴィスが語った言葉である。
『クールの誕生』(1949-50年)、『カインド・オブ・ブルー』(1959年)、『ビッチェズ・ブリュー』(1969年)、10年ごとにジャズの歴史に革命をもたらしてきた。手垢のついた言葉だが、そうではあってもやはり「ジャズの帝王」という言葉を使わざるを得ない。
f:id:ryuuzanshi:20201022164652j:plain
『マイルス・デイヴィス クールの誕生』、監督:スタンリー・ネルソン。多くの人の声を追ったドキュメンタリー。
f:id:ryuuzanshi:20201022164502j:plain
マイルス・デイヴィス、1926年に生まれ1991年、65歳で死んだ。
65歳の死、我々愚鈍凡百の輩にとっては早すぎる死であるが、クール・ジャズ、ハード・バップ、モード・ジャズ、フュージョン、さまざまな分野を切り開いてきた巨星にとっては、ほどよい年齢であろう。
なお、マイルスと共にジャズの極北と位置付けられるジョン・コルトレーンは、40歳で死んでいる。これもコルトレーンにとってはほどよい。『至上の愛』など、天才でなければ生みだせないものなのだから。
f:id:ryuuzanshi:20201030133917j:plain
丁度10年前となるが、2010年の秋、この「流山子雑録」で2か月にわたりジャズについて記した。多くのジャズメンについて触れた。それ以上に多くの書き手について記した。プレイヤーで最も多く出てくるのはマイルス・デイヴィスで、書き手では平岡正明であった。
10年前、私は元気であった。連日7、80行を記している。バシバシ、キーを打っている。今はそうはいかない。仕方がないが。ンッ、どうでもないつまらないことを記しているな。困ったことだ。
f:id:ryuuzanshi:20201030133542j:plain
マイルスと関わりのあるさまざまな人が出てくる。
先般旅立ったジュリエット・グレコとも共に惹かれ合ったらしい。
f:id:ryuuzanshi:20201030133816j:plain
(左)クインシー・ジョーンズ、(中)ハービー・ハンコック、(右)カルロス・サンタナ。
f:id:ryuuzanshi:20201022164659j:plain
マイルス・デイヴィス、ジェリー・マリガンなどの白人プレイヤーとも組んでいたが、自らは黒人という意識が強かったそうだ。
f:id:ryuuzanshi:20201030133613j:plain
マイルスと言えば『死刑台のエレベーター』を忘れることはできない。
1958年の作。ルイ・マル、弱冠25歳の時の作品。パリの街を流離うジャンヌ・モローは30歳。映画のラッシュを見ながらミュートをつけたトランペットをかぶせたマイルス・デイヴィスは32歳であった。
闇を切り裂くマイルスのペット、耳を離れることはない。
f:id:ryuuzanshi:20201030133844j:plain
マイルス。カッコいいね。


アメリカで最も権威ある文学賞・全米図書賞の翻訳文学部門に、柳美里の作品が選ばれた。
この賞は一昨年、多和田葉子が受賞している。昨年は受賞は逃したが、小川洋子が候補となっている。そして今年、柳美里が受賞した。
多和田葉子と小川洋子は、ここ数年ノーベル文学賞の候補となっている。柳美里もそれに次ぐのか。
ノーベル文学賞、多くのハルキストが望む村上春樹の受賞はないであろう。何度も記したが、村上春樹の作品とノーベル賞の相性がよくない。
村上春樹よりは多和田葉子か小川洋子である。そこへ柳美里がとなった。面白い。