ヨコトリ2020(1) 来ることができた。最後だな。

3年経った。またヨコトリへ来ることができた。
前回、2017年の「流山子雑録」ヨコトリの記述の最後、こう記した。コピペする。
<ヨコトリ2017、これで終わる。
次回のヨコトリ、3年後。
次も来たいが、おそらくそれは難しかろう。>、と。
私自身の状態は3年前とはずいぶん変わったが、今回のヨコトリへ行くことができた。
今度こそ最後のヨコトリであろうが。
先週末の金曜日、2時に横浜美術館へ行った。
今回は新型コロナの影響で事前予約。面倒な手続きは、仲間内で最もしっかりしている小澤がすべてやってくれた。我々は美術館へ行けばいいだけ。
今までは桜木町から動く歩道でランドマークタワーへ入り、美術館まで10数分歩いていたが、今回は駅からタクシーで行った。が、タクシーが着いたのは裏口。係の人から表へまわってくれと言われた。オイオイ歩くのがきついからタクシーで来たのにそれはなかろう、中を通してくれ、と無理を言った。
杖をついたじじい、中を通してくれた。
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横浜美術館正面。
何か大きなカーテンのような後ろのものも、何らかの作品だろう。
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AFTERGLOW。
光りの破片をつかまえる。
分かっても分からなくても、どうでもいい。うちの孫坊主の口癖に「なんじゃこれっ」ってものがあるが、そのようなものであろう。
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35.9度から37.4度の間の人のみが入場可。
36.7度であった。私にしては高い方。
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入ってすぐ。デカい作品だ。
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ニック・ケイヴ、アフリカ系アメリカ人。
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「ガーデン・ウィンド・スピナー」というアメリカでよく見る庭用の飾りを、7500個使っているそうだ。7、800本のワイヤーに。
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白人警官に殺される黒人という、アメリカ社会の複雑な現実をも思わせる、とヨコトリのパンフに。
何処にって、こういうのはそう思ったところにあるんだ。
ピストルのガーデン・ウィンド・スピナーもあった。
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中へ入ろう。
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暗いな。
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見ている。
何かがあるんだ。
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ロバート・アンドリューの作品・《つながりの啓示 nagula》。
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こういうもの。


昨日、藤木孝が死んだことが小さく報じられた。
自死と。
藤木孝、私よりひとつ年上。同年配である。
すぐに思いだしたことがある。
篠田正浩の1964年の作品・『乾いた花』である。
冴子というキュートな匂いたつ少女を死へ追いやった、葉というヤク中の男を演じたのが藤木孝であった。藤木孝、23、4歳のころ。思いに残る。
以前、『乾いた花』に触れた「流山子雑録」をコピペする。
<1964年の加賀まりこを追った映画作家があと一人いる。
篠田正浩である。
この年、『乾いた花』を撮った。
原作は石原慎太郎。今、老残の身をさらしている石原慎太郎、この頃には瑞々しい作品を書いていた。『処刑の部屋』、『ヨットと少年』、この『乾いた花』も。
加賀まりこ、鉄火場に出入りする少女・冴子に扮した。キュートに匂い立つ。ムショ帰りの中年のヤクザ・村木には、池部良。そして、冴子を死に追いやる若い男・葉には、藤木孝。これもモノクロ。
何とも言えない映像であった。>
藤木孝の死、世間一般には小さな死である。
しかし、私にとっては加賀まりこと同じく、思いに残る名であった。