ユージン・スミスの戦争。

水俣、ミナマタと聞けば、頭に浮かぶ人が3人いる。
ひとりはもちろん石牟礼道子、ひとりは美智子皇后、今の上皇后、そしてあとひとりはユージン・スミスである。
ユージン・スミスの原点は戦争。
1918年生まれのユージン・スミス、20代半ば第二次世界大戦、日本との闘いの場に身を置いていた。アメリカの勝ち戦の中にあり、自らに問いかけて。
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あばらが浮きで、お腹ばかりが膨らんでいる子供たち。
1944年、サイパン。


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4、5日前のNHKBS1。
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1941年12月7日、日本時間では12月8日、日本軍は真珠湾を奇襲する。
アメリカでは、宣戦布告なしの汚いジャップのだまし討ち。
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サイパンで埋葬を待つ遺体。米軍兵士の遺体である。
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サイパン、1944年8月。日本の民間人だ。
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民間人であろうとも、捕虜になることは許されなかった。
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女、子供が断崖上から次々に飛び降りた。「天皇陛下、バンザイ」、と叫んで。バンザイクリフである。
後年、先帝・現上皇と美智子皇后・現上皇后は、その慰霊の旅でサイパンをも訪れられ、このバンザイクリフに向かって深く首を垂れられていた。
先帝ご夫妻、父君・昭和天皇が積み残されたことごとを、一つ一つ果されていた。
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バンザイクリフから飛び降りた日本人に対し、ユージン・スミスは・・・
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このように記す。
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この写真も忘れがたい。
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ユージン・スミス、こう記し、さらにこう続ける。
「この写真が将来、人々の心に響くことを祈る」、と。
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冒頭に掲げた写真である。
サイパンで米軍に保護された日本人の子供たち。
ユージン・スミス夫人は、ユージンはこう言っていたと語る。
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ユージン・スミス、こう記す。
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沖縄での戦闘が始まる。
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日本軍、民間人が追いつめられる。
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ユージン・スミス、こうも語る。
ユージン・スミスの言葉、ちょっと出来過ぎていないかと思うが、あのミナマタのユージン・スミスであるからな、とも思う。
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1945年8月、戦争は終わる。
アメリカは勝ち、日本は敗れる。
この大勢の人が集まっているのはニューヨークであろう。
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その時、ユージン・スミスは病院のベッドの上にいた。
その3か月ほど前の5月、沖縄で部隊に同行していた時、日本軍の砲撃で大怪我を負っていた。
その後の2年半、写真の撮れない状態であったそうだ。
50年代となり、「スペインの村」、「慈悲の人 アルベルト・シュヴァイツァー」などを経て・・・
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『MINAMATA』に到る。
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あー。
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あー。
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「楽園の歩み」。
「私の人類を信じる心の表われです」、とユージン・スミス。
戦争の8月だ。


今日、浜松で国内最高の41.1度を記録したそうだ。
歴代最高温度に並ぶものだと報じられた。40度を超えると暑いどころじゃない。熱い。
昔、エジプトのアブシンベルで、40度超えを体験したことがある。つばの広い帽子を被っていたが、地表に丸い影が落ちていた。とても濃い影であった覚えがある。
暑いを通りこし、熱かった。
浜松の皆さんも熱かったろう。


今日発表された4~6月の日本のGDP、年率換算でマイナス27.8%。比較可能な1980年以降で最大のマイナス幅。
仕方なかろう。
先般発表された数値では、アメリカはー32.9%、EUはー40.3%、
日本のー27.8%は、いいんじゃないか。欧米に比べれば。しかし、おそらくそんなに単純なものではないのだろうが。私には、よく分からない。
いずれにしろ経済格差、貧富の格差はどんどん拡大しているらしい。
後せいぜい1、2年であろう私はどうでもいいが、孫たちのことが心配だ。
先ほどNHKBSで流れていた「DEEPER LOOK from New York」で、アメリカ政府の統計部門の幹部であったコーネル大学教授のエリカ・グロシェンというおばさんは、今回の事態、完全に回復するには8年から10年はかかるだろう、と語っていた。
そうなんだろう。専門家が言うのだから。