慰霊の旅。

戦後50年の夏、今上天皇は長崎、広島、沖縄を訪れられた。10年前の戦後60年にはサイパンを訪れられた。そして、戦後70年となる今年、昨日と今日パラオを訪れられた。
慰霊の旅である。
私には、こう思われる。
「責務としての慰霊」、今上天皇はそうお考えになられておられる、と。父君・昭和天皇がやり残されたことを、「自らの責務として受け継ぐ」、そうお考えになられておられる、と。
今日のNHKニュースから。

日本から持って行った白い菊。

このお言葉の前には、「このような悲しい歴史があったことを」、と。

昭和19年(1944)9月、米軍はパラオに上陸する。
その少し前の西太平洋の戦闘、サイパン、テニアン、グァム、各島で日本軍は玉砕している。パラオ・ペリリュー島でも約1万の兵が死ぬ。生き残ったのは、わずか34人、という。

パラオ・ペリリュー島、日本を向いて立つ今日の慰霊碑。

天皇、皇后両陛下、供花の後、長く頭を垂れ祈る。

その後、約10キロ先のやはり多くの戦死者を出したアンガウル島へ向かい一礼される。

さらに米軍の慰霊碑にも献花。
天皇、皇后両陛下の思い、「戦争で亡くなったすべての人を追悼」。

ペリリュー島で生き残った34人の一人である93歳の永井さん、テレビ画面を見ながらこう話す。

9時のNHKには、こういう画面が付け加えられている。
ほぼ全滅したアンガウル島の数少ない生き残りの一人である元日本兵・倉田洋二さんの物語。

倉田さん、今日このようなものを持って両陛下にお会いした。
生き残った自分だけが陛下にお会いしたのでは死んだ兵士に申しわけない、と。

倉田さん、日本で職を退職後パラオへ移住したそうだ。
この元日本兵も、パラオ・ペリリュー島やアンガウル島で死んでいった兵士を悼むことを、自らの責務としている。

天皇からこう声をかけられ・・・

こう応えている。

そして、こう語る。
それにしても、今日のパラオ・ペリリュー島から見る海、なんて穏やかなんだろう。