樹木希林恐るべし(2) モリのいる場所。

30年間まったく外へ出ないというのはホントかなとは思うが、熊谷守一が仙人であるということはよく知られていた。私が若い頃から超有名な絵描きであった。年取った仙人であった。なにしろ1880年生まれなのであるから。江戸幕府が倒れ明治となってからわずか十数年後の生まれなんだから。
昭和49年、熊谷守一・モリは94歳、カミさんの秀子は76歳。少し遅い結婚であったが、それでも結婚後52年となっている。30坪ほどの庭がある小さな家に住んでいる。仲はいい。余計なことはあまり言わないが。

『モリのいる場所』、キネマ旬報直営館の樹木希林追悼上映第2弾はこれ。
監督;沖田修一。モリと秀子には山崎努と樹木希林。仙人とそれを支える相棒、これ以上ピタッとくる配役はない。

この家の主・モリは外へは行かないが、さまざまな人が訪ねてくる。モリの日常をカメラに収めようと助手を連れて来るカメラマン。信州の旅館のオヤジは、モリに字を書いてもらおうと立派な板を持ってくる。モリが書いた文字は、オヤジが依頼した旅館名ではなく「無一物」との文字。息子が描いた絵を見てほしいと持ってくる男がいる。それを見たモリ、ひと言「ヘタですな」。そしてこう続ける。「ヘタも絵の内です」、と。さまざま来ている連中がドリフターズの誰彼のことを話していたりする。昭和49年ってそういう時代なんだな。
脚本、監督の沖田修一、軽味のある映像を紡いでいく。

モリは何をしているか。
毎日、両手に杖を持って庭へ出る。小さな庭だがさまざまな生き物がいる。それらを観察している。いつまでも。
カマキリであったり、チョウであったり、アリの行列であったり、草や花であったり、と。ジィーと見てるんだ。
それがモリ・熊谷守一のあの絵に成っていく。しかし、この映画には熊谷守一が絵を描くところは出てこない。
あくまでも仙人・熊谷守一と長年連れ添ったカミさん・秀子との物語なんだ。
その間柄、山崎努と樹木希林の名優ふたりが温かく紡ぎだした。

こういう場面がある。
ある時電話がかかってくる。電話を取った秀子、モリにこう言う。「文化勲章をくれるそうですよ」、と。モリ、「いらねえ」、と言う。秀子、電話の相手に「いらないそうです」、と言って電話を切る。「不用品はありませんか」、とかかってきた電話を切るように。
電話をかけてきた役人はびっくりしたろう。
しかし、面白い。笑っちゃった。


今日、今上天皇は85歳の誕生日を迎えられた。事前の記者会見の模様が報じられた。
おそらく、在位中最後の会見である。16分に及ぶお言葉、天皇の熱く深い思いに溢れたお言葉であった。
平成の世が戦争のない平和な世であったことに安堵している。支え続けてくれた国民に衷心より感謝する。それと共に一般から皇室に入り、私の考えを理解し支えてくれた皇后の労をねぎらいたい。多くの自然災害があり悲しみを覚えたが、ボランティア活動など人々の助け合いに勇気づけられた。・・・。・・・。
特に平和への思いの強さが心に響いた。なかんずく沖縄への思い。
天皇皇后両陛下は沖縄を11回訪れられている。火焔瓶を投げつけられた皇太子時代の初訪問も含め。何故か。
今まで「流山子雑録」にも何度も記してきたが、今上天皇は父君・昭和天皇が果たされず、残されたあの戦争の後始末をご自身が果たす、ということをご自身に課してきたのに違いない。「沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いは、・・・・・」、とも述べられた。
今上天皇は次代の新しい天皇に、それまでの残滓がまったくない真新しい状況を作ってやりたい、と考えられている、と私には思える。古くからの問題のあることごとは自分がすべて引き受け、けりをつける、と。
昭和の時代はさまざま問題があった。残した問題もあった。それらの問題はすべてご自身が引き受け、次の天皇にはキレイな状態で引き渡したい、との。
今上天皇、思えば立派な天皇である。美智子皇后も素晴らしいお人である。世界の王室を見わたしても、日本の今上天皇、美智子皇后ほど人間として素晴らしいカップルは見当たらない。
今日の今上天皇の映像、深い思いに溢れるもので、ところどころ感情があふれ、声が詰まる場面が何度もあった。
今上天皇ご自身、「天皇としての旅を終えようとしている」、と語られる今日のお言葉に、法を逸脱することなく象徴天皇として戦ってきた、今上天皇の国民に対する思いを感じる。日本国民への愛である。
ふと、チェ・ゲバラの別れの手紙を思いだした。「今、私はさまざまなことを思いだしている」、と書きだされるフィデル・カストロへの。
「勝利に向かって、常に、祖国か死か。革命家としての情熱をこめて君を抱擁する」、と結ばれる。
ゲバラのカストロ及びキューバ国民への別れの手紙である。
今上天皇がゲバラの別れの手紙をご存じかどうかは分からない。年代からいって案外ご存じなのではないか、とも思われるが。
ゲバラのカストロ及びキューバ国民に対する別れの手紙と、今上天皇の日本国民に対する最後のメッセージは、その内包する問題はまったく異なるが、その意味する思いはよく似ている。
「革命家としての情熱をこめて君を抱擁する」は、「象徴天皇としての思いを持って国民の皆さんを抱擁する」、ということではないか。
今上天皇の国民に対する愛である。
今上天皇の最後の会見の模様を伝える今日のニュースには、サイパンのバンザイクリフに向かい深く首を垂れる両陛下の映像も出てきた。この映像を見ると私の涙腺は決壊する。涙がとどめなく出てくる。バンザイクリフには私も行っている。日本の民間人が崖の上から、バンザイを叫びながら飛び降りて死んだ。次々と。
この映像に、今日も泣いた。両陛下のお心に。