ピート・ハミル。

75年前、昭和20年の今日8月7日、昭和天皇は次々に重臣をお召になっている。
<御文庫において枢密院議長平沼熄騏一郎に謁を賜う>。
<御文庫に内大臣木戸幸一をお召になり、時局収拾につき種々御下問になる>。
<御文庫において陸軍大臣阿南惟幾に謁を賜い、・・・・・>。
さらに、軍令部総長豊田副武、宮内大臣石渡莊太郎、参謀総長梅津美治郎、内閣総理大臣鈴木貫太郎、と次々に謁を賜っておられる。
昭和天皇、一人ずつお召になり奏上を受けられている。(前述の『昭和天皇実録 第九』)
これに先立つ7月27日にはポツダム宣言は日本に届き、その全文の記載もある。しかし、日本はそのポツダム宣言を黙殺とした。ポツダム宣言が来て10日経っても天皇は重臣たちを御文庫にお召になっていた。広島、長崎に原爆が落とされるまで。
昨日夜のNHKの番組・「証言と映像でつづる原爆投下”全記録” なぜ遅れた日本の決断、被爆者たちが見た地獄」では、アメリカは広島、長崎に続いて3発目の原爆も用意していたという。その3発目の標的は東京の皇居であった、という話もあった。日本人は痛い目にあわなければ解らない、と。


ピート・ハミルが死んだ。1935年、ブルックリン生まれ、享年85。ニューヨーカーだ。
ニューヨークと言えば頭に浮かぶ男が何人かいる。ウディ・アレンもそうだしアンディ・ウォーホルもそう。ピート・ハミルもそう。
ピート・ハミルについては、何度か触れたことがある。碌に読んではいないが、どこか洒落てんだ。
『ニューヨーク物語』(宮本美智子訳、文藝春秋 1986年刊)がどういうワケか2冊出てきた。
1冊はパラフィンがかかっている。こちらの奥付には1988年6月15日第6刷とある。パラフィンがかかっているってことは、これは古本屋で買ったものであろう。古本屋はよくパラフィン紙をかけていたから。
初版のものはうすよごれているし、腰巻き・帯もなくなってる。で、腰巻きもついてる、古本屋で買ったものであろうパラフィンで覆われた方の表紙カバーの写真を撮った。
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これ。
パラフィンを通した絵は、両側のビルや斜めに突き出た旗からみてフィフュス・アヴェニュー、5番街であろう。なお、右手前の青いところには「ニューヨーク・タイムズ」、黄色いところには「ミューヨーク・ポスト」の文字。共にピート・ハミルと所縁のある新聞。
腰巻きのコピーには、<都会に生きる男と女の心の動きと人生の奥行きを・・・>、とある。
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ついでに裏表紙の絵も。
こちらはタイムズ・スクェアだ。
それにしてもピート・ハミルの死、大きく報じられないのはそれはそうだろうが、そのほとんどすべてが、山田洋二の『幸福の黄色いハンカチ』の原作者としての面のみ。
それはなかろう、との思いが私にはある。
ピート・ハミルの『黄色いハンカチ』が巻末に付録としてついている(文庫本でわずか6ページの短いもの故、付録かな)文庫本『ニューヨーク・スケッチブック』(高見浩訳、河出書房新社 昭和61年刊)の腰巻きにはこう記されている。
<男と女の出会いと別れ 心にしみいる・・・>、と。
<都会に生きる男と女の心の動きと人生の奥行きを・・・>とか<男と女の出会いと別れ、心にしみいる・・・>が、ピート・ハミルであろう。
ご本人、ピート・ハミル自身よくモテた。
10年前になるが、日本ばかりじゃなく世界のあちこちの古本屋についてこのブログに記したことがある。
その折り、ニューヨークのストランドについても触れたが、そこからピート・ハミルのハンパないモテぶりを記した。
その一部をコピペしてみよう。


<にニューヨーク市長を務めたエド・コッチが司会し、多くの文士が出席している。その中に、生粋のニューヨーカー、ピート・ハミルの名もある。身にしみるどころか、心にしみる、ほろ苦いニューヨーカーの話、私にとっては、ニューヨークに対する思い、弥増した男だ。
ピート・ハミルの今の奥さんは、青木冨貴子だということは、よく知られているが、もちろん、前の奥さんもいる。それ以上にピート・ハミル、凄いんだ。
引っ張り出した『ニューヨーク物語』の訳者あとがきの中で、訳者の宮本美智子がこう書いている。ハミルからは、多くの人を紹介されたが、として、ノーマン・メイラーやリンダ・ロンシュタットの名と共に、ハミルの元恋人シャーリー・マクレーンの名が記されている。
また、『ニューヨーク・スケッチブック』の、やはり訳者あとがきには、訳者の高見浩が、ハミルについて、<ジャクリーヌ・ケネディ・オナシスと浮き名をながして・・・>、と書いている。
シャーリー・マクレーンと懇ろになるのも凄いが、それ以上に、ジャクリーヌ・ケネディ・オナシスと浮き名を流すなんて、凄いどころの話じゃない。どれほど凄いことか、
そう言えば、余計なことだが、さっきのテレビ・ニュースで、エドワード・ケネディ
それはともかく、ピート・ハミル、ここ20年ほどは、青木冨貴子に安住しているようだが。>。
思い出した。
そうだ。ニューヨークの古本屋、ストランドの創立80周年のパーティーの模様をネットで見たのだった。


それにしても、私は古本屋へ行かなくなった。
パリ、ロンドン、マドリード、ミラノ、モスクワ、北京、イスタンブールといった大都市ばかりじゃなく、デリー、ホーチミン、カトマンドゥといった途上国の古本屋にも行っていた。どこかへ行くと、まず古本屋という時代もあった。パリやニューヨークからは宅配便で送ることもあったが、多くはえっちらおっちらと持って帰って来た。体力もあったんだ。
この何年もは、古本屋どころか通常の本屋にも行かなくなった。近場に書店自体がなくなった。バスで行ったところに紀伊国屋の大型書店があるが、最後に行ったのは孫娘へプレゼントする図書券を買いに行った時。
以前あちこちで買っていた本の多くは、積読・ツンドクであった。読まない本をせっせせっせと買っていた。
さしたるものではないが、今は少しは本を読んでいる。昔買って積読になっているもの(積読と言えば聞こえはいいが、埋もれてしまって見つけ出せないものが多い)が見つかればそれを読む。が、図書館で借りることが多い。
例えば、昨日、今日触れた『昭和天皇実録』なんて、第九巻だけで944ページある。図書館の係の人が「重いですねー」、と言いながら処理している。えっちらおっちらと言いながら持ち帰ってきて目を通す。
図書館、仕事を引退してから行くようになったが、とても助かっている。
しかし、出版社や書店にとっては、図書館の存在は問題があるらしい。よく解かる。が、図書館は必要だな。


今日は、ピート・ハミルについて記そうと思っていたが、あちこちへ飛んで行ってしまった。