8月6日、ヒロシマ。

一年の内、この日だけは早く起き、8時にNHKをつける。
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今年の広島平和記念式典。
被爆75年となる。
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75年前の8月6日午前8時15分、その日深更テニアン島を発進したエノラ・ゲイ、広島上空で原爆を投下する。
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テレビの前で黙祷。
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広島市長・松井一実、こう語り出す。
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松井一実、こうも語り、次いで、「世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感と連帯するように訴えていただきたい」とかたり、さらに核兵器禁止条約への参画を促す。
毎年この言葉を聞いている内閣総理大臣・安倍晋三、憮然とした面持ちだ。これも例年通り。
なお、安倍晋三は核兵器禁止条約には触れず。


実は一昨日、久しぶりで奥野ビルのギャラリーナユタへ行った。
ナユタに来ていた女性から、ホッチキスでとめた紙片をもらった。伊藤眞理さんという。ナユタのオーナーの佐藤さんによるとアーティストだそう。
その紙片にはこう記されている。
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6日の広島原爆の日に行われるイベント・「Peace+Art+Music」に亡くなったご主人と二人、呼ばれていたそうだ。が、新型コロナでイベントは中止、YouTubeで世界に向け発信されるとの案内。
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8月6日午前8時45分頃、と記されている。
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「見せてもらいます。そして雑駁なブログですがそこへ載せさせていただきます」、と話した。


今日、テレビでNHKの広島からの中継を見ながら、PCでYouTubeの「Peace+Art+Music」を開いた。
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「https:peaceartmusic.com」を開く。
これはビデオのようだ。
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が、こういうものが出てきた。
「平和と美術と音楽と」の配信、24時間のみのものらしい。
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今日の7時30分から明日の7時30分まで。
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8時45分すぎ、和田・伊藤夫妻のショート・ムービーが記されている。
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ピース アート プロジェクト イン ヒロシマ。
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マリ イトウ / ケンイチ ワダの作品となる。
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私は知らなかったが、和田賢一というアーティストは現代作家の間ではよく知られた作家であったそうだ。
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アクリルで描いているようだ。
広い世界を。抽象表現主義を思わせる。
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ずいぶん昔、東松山の丸木位里、丸木俊の原爆の図美術館へ行ったことがある。
和田賢一、伊藤眞理夫妻も広島出身のアーティスト。理不尽な原爆投下、その惨禍は永遠のテーマとなっている模様。
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「地獄」、いや、「死者(黄泉)の国」か。
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「神託」。
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「沈黙」。
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マリ イトウとケンイチ ワダの作品の配信は終わった。
しかし、ボケーとしている私には、どれが和田賢一作品でどれが伊藤眞理作品なのか分からなかった。共に広島生まれのアーティスト、影響を受け合って当然だ。丸木位里、俊夫妻も同化しているもの。


例年の8月と同じく、あの戦争に絡む人に関わるものを読んでいる。
NHK人間講座の2002年8月~9月のテキスト・野坂昭如の『「終戦日記」を読む』もそのひとつ。2002年から18年間、来る年も来る年も引っぱりだしてきた。
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そのNHKテキストに載っている、原爆投下を報じる8日付の朝日新聞の記事。
それはそれとし、18年前の野坂昭如のNHK教育テレビの講座・『「終戦日記」を読む』、9回に亘ったものであったが、その第一回目は「8月5日、広島」。
その初っ端は広島県立第一高等女学校一年、森脇瑤子さんの日記最終章から始まる。8月5日の日記から。
翌6日には森脇瑤子さんは原爆が炸裂した1キロ先きで被爆、その夜死んでいる。
高等女学校一年は、今の中一に当たる、と野坂昭如は記す。
伊藤眞理さんの紙片に記されている<夫の母親は、8月6日のあの日、学徒動員で爆心地から600メートルの場所にある職場に居ました>、と森脇瑤子さんとは同世代であったろう。
原爆、何もかもぶっ壊していった。
ところで、不思議に思っているのだが、昭和天皇が広島への特殊弾攻撃を知ったのは、午後7時50分以降であった模様。
<午後七時五十分、侍従武官長蓮沼蕃に謁を賜う。これより先の午後七時過ぎ、海軍省より電話を以って侍従武官に対し、呉鎮守府の情報として本日午前八時頃、広島上空に来襲の米軍爆撃機より特殊弾攻撃を受け、市街の大半が倒潰、第二総軍参謀李グウ公を含む軍関係者が死傷するなど、被害甚大である旨の通報あり>(『昭和天皇実録 第九』 平成28年、東京書籍刊)。
午前8時15分の原爆被害の状況が、12時間近く経った午後7時50分すぎまで天皇の耳に入らなかったのか。これはダメだ。壊れている。最終的な決定権者は天皇だったのだから。