二・二六異聞。

<わたしはかって、昭和天皇がつよく記憶にとどめつつも口にだしたくなかった人物の名として、出口王仁三郎、北一輝、そして、三島由紀夫の三人の名がある、と書いたことがある>(松本健一著『三島由紀夫の二・二六事件』 文春新書 2005年刊)。
松本健一については以前も触れた覚えがあるが、松本の論考実に面白い。
ところで、松本の挙げたこの3人、いずれも強烈なキャラの立った人物。昭和天皇と対峙するにふさわしい。
出口王仁三郎は、近現代日本を代表する怪物のひとりであるが、松本健一は天皇制の模倣者と記す。北一輝がらみで。
<北の認識によれば、大本教はアマテラスを最高神に仕立てている天皇制国家に対して、その鬼門にあたる「艮の金神(うしとらのこんじん)」を押し立てて「もう一つの神の国」を主張しているとおもわれたことが、・・・>。そして、<北には、大本教が「艮の金神」を押し立てた「もう一つの神の国」をつくろうとしていた意図がみえていたのである>、と松本健一は記す。
アマテラスと艮の金神、二つの神の国。昭和9年7月22日の昭和神聖会の発会式には統管の出口王仁三郎以下、黒龍会の内田良平、玄洋社の頭山満などが出席したそうだ。
2・26の決起部隊の将校の精神的支柱であった北一輝、頭山満や内田良平といったいわば伝統右翼とは立ち位置が異なる。
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『昭和天皇実録』の2・26の日の記述は、当然のことながら長い。
<二十六日 水曜日 この日未明、第一師団・近衛師団管下の一部部隊が、侍従長官邸・総理大臣官邸・内大臣私邸・大蔵大臣私邸・教育総監私邸・前内大臣宿舎等を襲撃し、警視庁・陸軍大臣官邸等を占拠する事件が勃発する>から始まる。<午前五時四十五分、当番侍従甘露寺受長は、・・・。六時頃、御目覚めを願う旨を言上する。・・・。六時二十分、御起床になり、甘露寺より事件の報告を受けられる。・・・>。
この日、昭和天皇は、侍従武官長本庄繁を14回、侍従次長広幡忠隆を6回お召しになっているのを始め、実に多くの人に謁を賜わっている。
叛乱軍とされた決起部隊が完全に鎮定されたのは、3日後の29日午後2時頃である。
決起部隊を率いた将校17名に死刑が課され、7月12日、内15名に執行される。
残りの磯部浅一と村中孝次の2名と、彼ら決起将校の精神的支柱であった北一輝と西田税の民間人2名の4人の処刑は、その翌年8月19日。
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よく知られていることであるが、死刑直前の北一輝の言葉が面白い。
4人が一堂に会した時、西田税が誰にともなく、「われわれも天皇陛下万歳を三唱しましょうか」、といった。その前年処刑された青年将校たちは、皆そう叫んで死んでいったので。<しかし、誰も応えない。ただ北が、「いや、私はやめておきましょう」、といった。そのため、誰も天皇陛下万歳を唱えなかった>、と松本も記す興味深い逸話。
ところで、現在の日本国憲法の第一条、「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、・・・」、という条文、象徴天皇とした文言、まあ多くの日本人が知っている。天皇の地位と国民主権を規定したものであるから。
北一輝の『日本改造法案大綱』の巻一「国民ノ天皇」の条項を、松本健一の記述を孫引きする。
<天皇の原義 天皇ハ国民ノ総代表タリ、国家ノ根柱タルノ原理主義ヲ明カニス>。
「天皇ハ国民ノ総代表タリ」って、現行憲法の「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く>、というくだりによく似ている、と松本健一は記す。
確かに、そういえばそう。
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<磯部浅一の「獄中日記」には、蹶起将校たちを死刑に処した昭和天皇への諫言、怨み言、呪詛の言葉が、毎日のようにのべられている>。<余は日夜、陛下に忠諫を申し上げてゐる、八百万の神々を叱っているのだ、この意気のままで死することにする。・・・。天皇陛下 何と言ふ御失政でありますか、何と言ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ>。
磯部浅一のこの言葉、三島由紀夫に乗り移る。
<われらには、死んですべてがわかった。・・・。何故ならわれらは、まごころの血を流したからだ>。
<皆死んだら血のついたまま、天皇陛下のところに行くぞ。而して死んでも大君の為に尽くすんだぞ。天皇陛下万歳。大日本帝国万歳>。
<そして死んだわれらは天皇陛下のところへ行ったか?>。
<などてすめろぎは人間(ひと)となりたまいし。
  などてすめろぎは人間となりたまいし。
   などてすめろぎは人間となりたまいし>。
三島由紀夫著『英霊の聲』(河出書房新社 昭和41年刊)からランダムに引き抜いた。
昭和天皇が記憶に留めつつも決して口にはしなかった三島由紀夫、そのお気持ちはよく分かる。
余計なことは言わないでくれ、この無礼者、ほっといてくれ、というお心であったことだろう。
三島は、「天皇陛下万歳」を叫んで自裁する。45歳で。昭和天皇、苦々しく思われたであろう。
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最前列中央は、昭和天皇。


韓国のGSOMIA破棄、文在寅の暴走には違いないが、案外、そのように仕向けたということも考えられる。
日本は軍事情報の共有にさほどのメリットはないらしい。痛手をこうむるのは韓国の方らしいし。煩い韓国に一発食らわせてやろう、ということもあったろう。文在寅はまんまとそれに乗り、引くに引けず暴走している、という状態。
1933年(昭和8年)の日本の国際連盟からの脱退を思いだす。
一応日本政府は抗議をし、アメリカ国務長官・ポンペイオは「失望した」と語っている。が、トランプはさほどのこととは思っていないんじゃないか。
米日韓の三か国より、米日や米韓の二国間の方がアメリカにとって得策である、と考えているかもしれない。トランプにしてみれば、安倍晋三や文在寅は、お前らアメリカに尽くしてくれよ、という金蔓なんだから。


今日、居酒屋の帝王である石田からメールがきた。
石田、暫らく病気をしていたので、ずいぶん会っていない。が、元気なようだ。良きことである。
昨日の「流山子雑録」の昭和天皇に関し、記されている。
石田、私の2、3年後輩。私は2年遅れで入っているから、石田も浪人をしているようだが、それでも3、4年は年下ではなかろうか。
その石田、小学5年の時、海洋少年団というところへ入ったそうだ。団長は、旧海軍の水雷艇乗り。右翼団体だったそうだ。日本の軍歌をいっぱい覚えた、という。
それが中学へ入ると一気に左翼へ、となったという。
そして、大学時代は全共闘だ。三島が出てくる。東大安田講堂へ乗りこんで、「天皇」を持ちだしたことを。
その部分だけコピペする。
<三島由紀夫が本郷に乗り込み全共闘との論戦に挑む。
「君達が一言『天皇』を口にすれば我々は一緒だ」。
その通り、極右と極左は隣どうし、円環を閉じるのだ。
北一輝という「天皇を口にしなかった男」が
極左集団から崇められたのも了解可能な事なのだ。
決定的な極左と極右の違いは「天皇」なのである。
いい年をして餓鬼の時代と未だ変わらぬ想いを抱く此の吾が身、
相当に頭の固い人間だワイ>、と石田。



私も、石田よりももっといい年をして、餓鬼のころと未だ変わらぬよしなしごとを思い描いている。