世界で一番ゴッホを描いた男。

中国という国は何事によらずハンパない国である。広東省に大芬(ダーフェン)という油画村があるそうだ。
油画村って、油絵を描いている男や女が1万人以上いるから油画村。ただ皆さん、画家であったり趣味で油絵を描いているのではない。商売として複製画を描いている。1万人以上の人たちが画工として。これは凄い。ハンパない。
この大芬に1996年、趙小勇(チャオ・シャオヨン)という男が出稼ぎに来る。それから20年、趙小勇は画工として複製の油画(油絵)を描きに描く。多い時には月に6、700枚を。20年通算では10万枚となるという。ハンパない、どころじゃない。
『世界で一番ゴッホを描いた男』、その趙小勇を追ったドキュメンタリー。
f:id:ryuuzanshi:20181029160120j:plain
監督は、ユイ・ハイボーとキキ・ティンチー・ユイ。このふたり、親子らしい。20年間で10万枚の複製画を描いた趙小勇を追っているのだが、中国のというか、現実の中国社会の問題をも描き出している。都市と地方の問題とか。
都市と地方の格差問題は、先般の「オホーツクふらふら行」でも日本の状況を記したが、中国の場合は、戸籍の問題があるので複雑だ。
「封切上映」となっている。キネマ旬報の直営館、シネコンでかからないような映画は封切となる。
f:id:ryuuzanshi:20181013160142j:plain
パリのオルセーには、セザンヌやルノアール、モネといったビッグネームが並ぶが、最も多くの人が群れているのはゴッホ作品が並ぶ部屋である。また、アムステルダムのゴッホ美術館には、世界中から多くの人々が押し寄せている。
何といってもゴッホなんだ。
趙小勇もゴッホに特化した複製画を描いている。
f:id:ryuuzanshi:20181013155637j:plain
アートの世界、はるか以前から「アーティストとアルチザン」という問題があった。芸術家か職人かという問題が。
私は、誤解を恐れずに言えば、アーティストの9割以上はアルチザンだと思っている。ほとんどの作家は、過去の作品の模倣から抜けきれることはない。
唯一の例外は、パブロ・ピカソである。
ところで、今日の朝日新聞に横尾忠則が寄稿している。今、コロナウイルスの中で、仏教の弥勒思想の千年王国を想起した浄土的理想社会を描いている云々、と記されている。横尾忠則の「千年王国」、どのような作品となるのか、分かる気がする。
神戸の横尾忠則現代美術館へ行けば、横尾忠則のアルチザンとしての対応力の凄さが迫ってくる故。
中国広東省・大芬村の趙小勇、世界に知られた横尾忠則と同じともいえる。
f:id:ryuuzanshi:20181027195457j:plain
中国広東省大芬村。
f:id:ryuuzanshi:20181027195427j:plain
趙小勇、ゴッホを描く。ゴッホの複製画を。商品として。
f:id:ryuuzanshi:20181027195444j:plain
趙小勇、ゴッホの実際の作品を見たことはない。ゴッホの作品、そのものの作品を見たいと思う。アムステルダムのゴッホ美術館へ行きたい。
しかし、旅費はそこそこかかる。が、ゴッホ美術館へ行きたい思いは抑えきれなくなる。趙小勇、エイヤッ、アムステルダムのゴッホ美術館へ行く。
f:id:ryuuzanshi:20181027195436j:plain
アムステルダムで、自分たちが描いてきた複製画が、画廊でなく土産物屋で売られていることを知る。しかも、自分たちが売った値段の10倍近くの値で。
が、それが現実。大芬とアムステルダム。
いや、面白いドキュメンタリーである。


暫らく前から、ニュースショーなるものを見なくなった。
名の知られた人たちが、PCR検査がどうとかアビガンがどうとかと言っている。さらに安倍首相がどうとかこうとか文句を言っている。彼ら彼女らは商売だ。テレビに出ることによって商いを立てている。そんなものに付きあってはいられない。ニュースショーを見ることはやめた。
この二か月の間、映画館へは行かなかった。
また、この2年少しの間、映画のことは記さなかった。
樹木希林が死んだ時やジャンヌ・モローが死んだ時、また、ゴダールがらみでヌーベルバーグの人たちのことを記した折りなど2、30の時以外。
この間、100数十の作品を見ている。
暫らく、それらの作品をランダムに取りあげようと思う。
今日は、そのとっかかり。


今しがたのNHK「ニュースウオッチ9」、ドイツ在住の多和田葉子が出てきた。新型コロナウイルスに対するドイツの取組みについて語る。
多和田葉子については、このブログでも今まで何度か触れている。その作品についても。しかし、映像で多和田葉子を見るのは初めてである。何となし、少し興奮した。
何年か後にはノーベル文学賞を取るであろう多和田葉子の普通のおばさんの映像、それはそれであった。