視覚芸術百態 19のテーマによる196の作品展(続き×3)。

まず、忘れないうちにひとことお詫びを記します。
昨日載せた最後の作品、「高松次郎≪ヘッドフォンをつけた影≫。鉛筆、グワッシュ、紙」と記したもの、これはフェイクです。高松次郎の作品ではなく、単なる影です。
ここ数日、アメリカの中間選挙でのトランプのフェイクを重ねたガラの悪いニュースを見ているため、そのフェイクが乗り移ってしまいました。お遊びだ。ごめんなさい。

B3からB2へ上がる。

19のテーマの中のひとつ「人」。
パブロ・ピカソ≪道化役者と子供≫。グワッシュ、パステル、厚紙。
何故にピカソがこの展覧会にとも思うが、やはり現代美術の先達としてのピカソに敬意を、ということではなかろうか。そして、どうせピカソならキュービズム以前の具象画を。その方が意味がある、と考えたのであろう。
なお、この作品の制作年は1905年である。100年以上前。

「人」だから「顔」がある。
向こうに顔が並ぶ。

ジャン・フォートリエ≪人質の頭部≫。油彩、カンバスにマウントされた紙。
フォートリエの「人質」、20世紀を代表する作品のひとつである。

アルベルト・ジャコメッティ≪男≫。油彩、カンバス。
ジャコメッティの作品、案外立体よりも平面作品の方が面白い。考える意志がより強く伝わるからか。

その「男」、何を考える。

リュック・タイマンス≪イグナティウス・デ・ロヨラ≫。油彩、カンバス。
世俗と決別し、その身を神に捧げた男の顔貌、深い。、

ジョン・カリン≪無題(かわいらしい人)≫。エッチング、アクアチント、紙。
この作品、第1ステートから第12ステートまでの連作。
上の写真ははっきりとはしないが、初めの頃のステート。

ジョン・カリン≪無題(かわいらしい人≫。
半ば過ぎのステートか。

ジョン・カリン≪無題(かわいらしい人≫。
これはお終いの方のステート。

ウッ、なんじゃこれ。
ピカソはまだしも、どうしてベラスケスがここにあるのか。
小川信治≪ラス・メニーナス≫。油彩、カンバス。
2002年の≪ラス・メニーナス≫なんだ。ベラスケスではなくて、小川信治の≪ラス・メニーナス≫なんだ。
女官たちはいる。侍女もいれば小人や犬もいる。大きなカンバスの前のベラスケスもいる。鏡に映るフェリペ4世と王妃もいる。しかし、中心にいるはずのマルガリータ王女の姿がない。なんたることか。それが、小川信治の≪ラス・メニーナス≫か。
19のテーマの中の「流用」というテーマの作品のひとつ。
小川信治の作品≪ラス・メニーナス≫、流用だ。立派な流用だ。が、中心人物であるマルガリータ王女を省いている。不敬であろう。愛くるしい王女を削除するとは。削除するなら、王や王妃、それに作家のベラスケス、このあたりを削るのがいいんじゃないか。

左は、ロイ・リキテンスタイン≪日本の橋のある睡蓮≫。エナメル、ステンレス、額、彩色。
右は、アンディ・ウォーホル≪マリリン≫。シルクスクリーン、紙。

横尾忠則のこういう作品がある。
横尾忠則≪葬列Ⅱ≫。シルクスクリーン、アクリル板。
シルクで刷られたアクリル板が6枚重なっている。これ、昔のヴィトリーヌのようだ。

斜めから見る。
ヴィトリーヌは、重ねられたガラス板が波打っていた。横尾のこの作品のアクリル板は平らである。違うのであろうか。

正面から。
神戸での横尾忠則展でもなかった、このような作品。とても面白い作品だ。

マルセル・デュシャン≪トランクのなかの箱≫。ミニアチュールのレプリカ、写真、カラー複製、厚紙ケース。
デュシャンだ。デュシャンだ。今、東博で催されているデュシャン展にもさまざまなボックスが出品されている。

デュシャンは、また別格だ。

河原温である。
河原温≪MAY12、1980≫。Todayシリーズ(1966−2013)より。アクリル、カンバス、新聞、箱。
河原温、世界の美術史に足跡を残した。

河原温のその日付け。

ウーン。

ニューヨークタイムズの1980年5月12日の紙面。スポーツ蘭だ。

アンディ・ウォーホル≪グレムリン≫。左からピンク、オレンジ、ブルー。
アクリル、シルクスクリーンインク、カンバス。

村岡三郎≪酸素ー左手を頸動脈に≫。鉄板、酸素ボンベ。
こういうものが美術の分野に入ってきている。苦手だ。でも、仕方がない。

李禹煥≪点より≫。膠、顔料、カンバス。
リー・ウーファンの平面作品だ。

リー・ウーファンの作品はあちこちで見てきた。ソウルのサムスン美術館で、直島の李禹煥美術館で。だから、「点」ではない、「点より」というところにリー・ウーファンの思いがあることが解かる。

元永定正≪作品≫。油性水性樹脂系絵具、カンバス。
1964年の作。半世紀以上前、具体美術である。
吉原治良、白髪一雄、元永定正、・・・、の具体。
4、5年前、アートフェア東京に「脈々と具体展」というブースがあり、そこで具体美術協会の作家では若い世代である森内敬子に会った。私と同じような世代だと思えた。名刺をくれた。そこには、墨黒々と「具体」の文字が入っていた。
改めて思う。「具体美術」、我が国の美術史に残したものは大きい。

暫らく前から、スマホのバッテリーがアップアップしている。もう限界だ。
ここらで国立国際美術館での「視覚芸術百態 19のテーマによる196の作品展」は、大団円とする。。