オホーツクふらふら行(26) ヴィラ九条山の旅行者。

ひと月ほど前、エリック・ファーユというフランスの作家を知った。1963年生まれだから、今年56歳である。何冊か邦訳もあるが、それまでまったく知らなかった。
2012年8月下旬から12月下旬にかけ、京都のヴィラ九条山に滞在している。フランスのアーティストやクリエイターを2か月から6か月間、顎足付きで受けいれているヴィラ九条山に。美術、文学、音楽、工芸、建築、映画、その他諸々の創造分野で。毎年Ⅰ5人程度。小説家であるエリック・ファーユは、もちろん文学分野。
エリック・ファーユ、京都山科のヴィラ九条山に入った後も落ち着いて京都にいることは少ない。
8月24日に京都に入り、鴨川の土手を散歩したり、大文字焼きを眺めたり、嵐山の大河内山荘へ行ったり、先斗町近くのバーで飲んだりしているが、半月ほど経った9月8日、鳥取へ行く。
安部公房の『砂の女』を映画化した勅使河原宏の白黒画面で、鳥取の砂丘を見ていたので、と。<安部の小説のなかに鳥取の名前がでてこないとしても(勅使河原はここに撮影に来たのだ)・・・>。
<鳥取に来たのは、安部公房と勅使河原宏のためだけではなかった。ここには写真家の植田正治もいたのだ>、と10日には米子に行く。が、植田正治美術館は展示替えで閉まっていた。<口惜しさをこらえた>。
鳥取からローカル線で小浜へ行く。福井県だ。バラク・オバマのことも出てくる。が、<1978年7月7日の夕刻、ともに23歳の地村保志、富貴恵夫妻は、小浜近くの海岸に散歩にでかけた。・・・。・・・。突然、薄闇のなかで、男たちが彼らをつかみ、・・・>、と記す。エリック・ファーユ、北朝鮮による拉致問題に強い関心を寄せている。横田めぐみさんに関するヴィデオも見ているし、この後、佐渡でチャールズ・ジェンキンスさんとも会っている。
9月末にはK・ジュンコ(おそらく、コシノジュンコであろう)に誘われ、大阪で能『杜若』を見て、15世紀の能作者や9世紀の貴族に思いをはせる。歌舞伎や文楽も当然。
まあ、あちこちへ行っている。
10月9日には瀬戸内海の直島へ行っている。
安藤忠雄の地中美術館や李禹煥美術館について記す。安藤忠雄の地中美術館は、<『陰翳礼讃』の谷崎潤一郎が見れば共感したことだろう>とか、<モネの絵がこれほどみごとに展示されるのを、地中美術館以外には見たことがない>、とか記している。直島の地中美術館には、モネの睡蓮の絵は5点のみである。エリック・ファーユ、とんでもない買いかぶり。こんなこと言うと、モネが怒るよ。モネの睡蓮はオランジュリー美術館のふたつの楕円の「睡蓮の間」に優るものはない。
李禹煥美術館についても、<・・・。この美術館を見て、わたしはミュケナイ(ペロポネス半島のアトレウスの宝庫を連想した。・・・>、と記す。ミュケナイ、ミケネのアトレウスの宝庫なるものは見たこともなく知らないが、これも買いかぶりであろう。ミケネは知っているので。
エリック・ファーユ、まあ、あちこちへ行っている。
11月には沖縄へ行く。那覇、石垣島、西表島と。大阪で文楽を見たり、北野天神の蚤の市へも行っている。この月末には東北へも。
12月1日には東京へ来て、東博へ行っている。5日には鹿児島から屋久島へ。10日、鹿児島空港から札幌へ。特急「サロベツ」で稚内へ向かう。音威子府や小さな駅(幌延、豊富)を通って。<稚内では、雪の白い粉が降り続けた>、と記されている。
12月23日、エリック・ファーユは関空からパリへ帰国する。
この4か月の間のことを、いわば日記を綴ったのが、エリック・ファーユ著『みどりの国滞在日記』(水声社 2014年刊)である。訳者は三野博司。小気味いい訳文である。
しかし、「オホーツクふらふら行」に、どうしてエリック・ファーユの『みどりの国滞在日記』が出てくるのか。
エリック・ファーユ、稚内から利尻島へ行って一泊しているのだが、ちょっとズルをしている。分かっていながら、素知らぬふりをしている。それが面白い。
まあ、そのことを著作の中で記しているので、心底悪い男ではないのだが、やはりズルはズル。
利尻島のホテルについてこう記している。
<部屋は広く、暖房が効いて、設備が整い、ホテルには時宜にかなった浴場があり、夕食は盛りだくさんだった。このすべてあわせて、食事付きで、わずか2400円、23ユーロだった。夕食の呼び物は鮑だ。・・・>、と記されている。ンッ、おかしいよ、コレって気づく。
翌日、チェックアウトする。<わたしはホテルの清算を済ませた。すると、とても言いにくそうに、彼は、インターネット予約の際に、料金の誤りをこちらに知らせることはできなかったかとたずねた。当惑して、というのもサイト上で一泊料金のゼロがひとつ落ちていたのを彼がほのめかしたからだが、わたしは理解できないふりをした。・・・。彼はくどくど言わなかった。・・・>。
この後、エリック・ファーユは、賠償のつもりで千円札を二枚彼の手にすべりこませる。これはないよ、エリック・ファーユ。先方のミスとはいえ、2万円ほど安くなったんだ。せめて1万円札、ギリギリでも5千円札ぐらいは握らせなきゃ。
利尻島のホテルの男もその後この本を読み、苦笑いをしているだろう。
「オホーツクふらふら行 稚内港」の番外編として、エリック・ファーユの滞在日記を記した。


今日、大阪府知事・吉村洋文、自粛要請に従わないパチンコ業者の名を公表した。
2、3日前のニュースに、こういう男が出てきた。
「オレは30年の間パチンコをしている。パチンコをやめてどうすんだよ。開いてる店には行くよ。行くなって言うんなら日本全国禁止にすればいい」、とその男は言っていた。50代半ば、ちょうどエリック・ファーユと同世代の男であった。
それにしても、40代前半の吉村洋文、身体を張っている。

安倍晋三以下閣僚の皆さま、与野党幹部の皆さま、全国都道府県の首長の皆さま、皆さま雁首を揃えているが、どーってことない雁首だ。
この機会に60以上の皆さまに総退場してもらってもいいのでは。