吉備の国アート巡り(14) 地中美術館。 

2時半すぎ、地中美術館のチケット売り場へ戻る。整理券を示しチケットを求める。
地中美術館への道沿い、何やら意図して作られた感じ。


このような道を進む。

徐々に世俗世界から離れていくように、ということか。

こういうところ、

こういうところがあり、

地中美術館へ。

ここから入る。白い服の人がチェックしている。
ここ以降、カメラは一切許されていない。

ドローンを使わない限り撮影できない地中美術館、パンフを複写した。
建物の大方は地中にもぐり、先端部分だけが地上に出ている。

ベネッセのアートサイト、李禹煥美術館もベネッセハウスミュージアムも安藤忠雄の手になるもの。地中美術館も当然そう。
コンクリート、鉄、ガラス、木で構成される。

地中美術館、ただ3人の作家のみの展示場。
クロード・モネ、ジェームズ・タレル、ウォルター・デ・マリアの作品のみ。
パンフを複写する。

クロード・モネの≪睡連≫を5点展示。
モネの≪睡連≫は、あちこちの美術館、その展示に工夫を凝らす。が、パリ、オランジュリー美術館の楕円の壁面すべて睡連、という睡連に取り囲まれた空間に太刀打ちできるものはない。如何に特別な部屋を作ろうとも。

光そのものをアートとするジェームズ・タレルの作品。
薄暗い部屋の中を動く。光はほとんどない。そう動けるものではない。そういう作品か。

ウォルター・デ・マリア≪タイム/タイムレス/ノー・タイム≫。
幅の広い階段を上がったところにある球体は、直径2.2メートル。
それをスケッチしている外国の女性がいた。球体の横に座りじっとしている男もいた。目をつぶって瞑想している。動かない。
この部屋で、なぜ地中美術館はさほどの人とも思われないのに、待ち時間3時間弱なのか、という謎が解けた。部屋に入る人数を制限しているんだ。例えばこの部屋なら10人弱。しかし、滞在時間の制限は設けていない。だから、人によっては、じっと座って20分でも30分でも動かない人が出てくる。
だから、回転率は悪い。故に、整理券の発行が必要になる。改善の余地はあろう。

地中美術館を出てベネッセのシャトルバスの停留所へ歩いていた。
後ろから若い2人ずれが追いついてきて声をかけた。宇野への電車の中で会ったイギリス人の姉弟。姉は、東大へ1年間留学している、と言っていた。「できがいいんだな」、と言うと、「そんなことはない」、と返してきた。弟はこの姉を頼り2週間の予定で日本へ来た、と言っていた。
彼ら、「あとひとつ、本村の美術館へ行かなければ」と言い、「バイク、バイク」、と言って走り去った。
時刻は4時すぎであったであろうか。彼らがいう本村の美術館は、安藤忠雄ミュージアムのことであろうと思われる。彼らイギリスの若い姉弟、直島は日帰りの模様。バイクで走り回っているようだ。はたして本村の安藤ミュージアムに間に合ったであろうか。
私は、ベネッセのシャトルバスで町営バスの停留所・つつじ荘まで。

暫らくすると、バスの窓から黄色いカボチャが見えてくる。

草間彌生の黄色いカボチャ。
向こうの建物がつつじ荘。

海の方を見る。
黄色いカボチャ。
つつじ荘まではベネッセのテリトリーのようである。
この中には町営バスも入れない。


瀬戸内の海を見ている人が何人かいる。
小さくて分かりづらいが、左の方に男がふたり座って瀬戸内の海を見ている。

この鳥居、ずいぶん丈の低い鳥居である。
それだからかどうか、鳥居の上には小石がいっぱい乗っている。
ここまでが直島のベネッセアートエリアの範囲内であろうか。