二科、そして、六本木。

毎年8月、暑い日が続いている頃、久保寺洋子からの手紙が届く。一筆箋に記された文面は、毎年ほぼ同じ。
<毎日、暑い日が続いておりますが、・・・・・。又、二科の季節が参りました。よろしかったら、おさそいあわせて、おでかけ下さい>、というもの。チケットが同封されている。今年も9月初旬、昔の仲間10人ばかりで、国立新美術館へ観にいった。

地下鉄、乃木坂からのエントランス前。
二科展の出品者は、おそらく数千人。で、毎年、久保寺洋子の作品前で待ち合せる。
作品展示場所はすぐ分かる。入口で五十音順の早見表をくれるから。

向うの方に見知った顔が見えてくる。
50年前、学生時代からの仲間であるジジババが、既に7〜8人来ている。

二科会友・久保寺洋子の今年の出品作、≪輪違屋 Ⅱ≫。100号、油彩。
京都、島原の置屋・輪違屋の花魁を描いたもの。
私が知る限り、久保寺洋子の二科への出品作は、≪輪違屋≫ばかり。「一体何時から”輪違屋”のテーマを?」、と久保寺に訊いた。「6〜7年、いや、10年近くになるかもしれない」、と久保寺。しかも、毎年3点の≪輪違屋≫を描き、出品するそうだ。その内の1点が展示される、とのこと。
ということは、久保寺洋子、今まで2〜30点の≪輪違屋≫を描いている。モネの≪睡蓮≫には及ばないまでも、≪積み藁≫には匹敵できるのではなかろうか。ひとつのテーマを追求するには十分であろう。
さらに、久保寺洋子も”古来稀なり”となっている。歳に不足もないだろう。
しかし、久保寺洋子、未だ二科の会友、会員ではない。二科の重鎮連中、手遅れにならないうちに、久保寺洋子を会員にしてもいいんじゃないか。
久保寺洋子、バアさんではあるが、大らかないい人なんだから。

私たちにとっての二科は、久保寺洋子の二科であるが、あとひとり、工藤静香がいる。ところが今年は、工藤静香、出品していなかった。キムタク似の娘さんの絵、楽しみにしていたんだが。
そのい代わりと言っていいかどうか分からないが、こういうコーナーがあった。
”二科100周年記念イベント”。
<2011年に生誕100年を迎えた20世紀を代表する芸術家の一人、岡本太郎は意外に知られていませんが、二科と深い繋がりがあります>、とある。

岡本太郎、確かにこういう男であった。

”太陽の塔”だ。大阪万博の。
日本は、いけいけドンドンであった。

≪明日の神話≫。
今、渋谷のJRや地下鉄の駅から井の頭線へのコンコースにある大きな壁画≪明日の神話≫、このようなものも描かれていたんだ。
1968年の小さな油彩タブロウ。

≪空間≫。
1934年の油彩であるが、1954年に再制作されている。思い入れの強い作品なんだな。

国立新美術館を出た後、10人ばかりのジジババ、毎日スケッチの石田宏の案内でこの居酒屋へ入った。100人以上が入れるであろうという大箱である。
それより何より、驚くべきは価格帯。ビール生の中ジョッキが280円である。他の酒も同じようなもの。東京一安い北千住でも叶わないであろう値段帯。はたしてここは、六本木であるのか、という思いしきり。でも、確かに六本木であった。
ここへ皆を引き連れてきた毎日スケッチ、かつ居酒屋スケッチの石田宏、さっそくペンを走らせていた。

このように。

めっちゃ安い居酒屋を出た後、六本木の方へ歩く。
六本木ヒルズが見える。今はもう、ホリエモンはいないのだろうか。

歩くと、壁面に草が生えているビルがある。

六本木交差点の近くへ来る。
と、目の前に、白いストレッチ・リムジンが。
『コズモポリス』のニューヨークや、『ホーリー・モーターズ』のパリと同じじゃないか。
やはり、六本木だ。白いストレッチ・リムなんて。

地下鉄の六本木駅へ下りた。
ホームの壁面で、吉永小百合さんが耳に携帯を当てていた。