吉備の国アート巡り(23) 町中のアート。

3月下旬から4月中旬にかけ、直島を含む瀬戸内の島々では「瀬戸内国際芸術祭2016」の春の部が行われていた。瀬戸内トリエンナーレである。

チラシを複写する。
瀬戸内の海、きれいだな。

ベネッセ・アート・サイトがある直島が中心のようであるが、瀬戸内のさまざまな島々で「瀬戸内国際芸術祭(瀬戸内トリエンナーレ)」が催されている。そのWebサイトを見てみた。
直島ではベネッセ・アート・サイトの3つの美術館や本村の幾つもの家プロジェクト、その他既成の美術館や作品が参加している。その中に個人での参加作品も幾らかはあるが。
ところで、「海の復権」と記されている。
日本中そのような傾向にあるが、瀬戸内の島々でも人口減少、高齢化が進んでいる。島々の活力が失われつつある。瀬戸内トリエンナーレ、アートで、そのような瀬戸内の島々の活力を取り戻そうとしているようだ。チラシには、小さく総合プロデューサー・福武總一郎とある。

ひとつだけ、瀬戸内トリエンナーレに参加している個人の作品に行き会った。地中美術館と李禹煥美術館との間の池の中にあった。池の上になにやら白い羽のようなものが、ひらひらとしている。何やら面白そうな感じが。
戸高千世子≪彼方の気配≫。
私は知らなかったが、戸高千世子、幾つもの芸術祭に招待されている作家の模様。瀬戸内トリエンナーレに参加している作家で行きあった作家は、これのみであった。
しかし、町中には、「オー、アート。アートしてんじゃないのよ」、というものがあちこちにある。
そのような町中のアートを幾つか。

護王神社から下りてきたところの柵に、このようなものが。

作家の名は、高本奏。

市井のアーティスト・高本奏、オレの個展に来てくれ、と言っている。

瀬戸内トリエンナーレの期間中、本村では大きな生け花が5つ、町中に飾られれいる。暫らく前、その幾つかを載せた。
その中で、これが一番面白いなというのは、土塀の中にあるこの作品である。
生け花もさることながら、その横にある木造の犬が面白いんだ。

大中小、3匹の犬。
後ろには、乗りこんだなと思われるバイク。その前の3匹の犬。町中アートの王道ではないかなー。

「nyaoshima」。
ニャンコちゃんたちがいっぱいいるのかな。

家の前、道の端の狭いところをさまざまに造形している人がいる。
ここも、そう。意図をもっているな、この家の住人は。

これも町中アートじゃないかなー。

植物ばかりじゃなく何やかや、ぎっしりと詰まっている。

南瓜、草間彌生へのリスペクトであろう。それに加えさまざまなカエルくん。
これも町中アート。

こういうところに行きあった。
左の方に何やら模様が。
右の方の箱には、三つ折りの印刷物が入っている。

その印刷物を開く。
「NAOSHIMAP of ISHIKAWA KAZUHARU いしかわ かずはる 作品地図つくりました」、とある。
いしかわ かずはる、本村エリアに7つの作品を作ったそうだ。
なお、箱のあったところの左側の作品は、≪はるのは≫。

ここにあったこれは、≪「あ、うん」の「うん」の方≫。

この建物の横にあったこれは、≪「あ、うん」の「あ」の方≫。

実は、つい先ほど、このブログに載せる写真を選んでいる時に気がついた。
この写真の右端の方を見てみる。見難いが、上の≪「あ、うん」の「あ」の方≫が見える。
錆びてはげ落ちた金属板には、「松島酒店」の文字がかろうじて読み取れる。
この店、前日の夕刻、寝酒を買いに訪れた店。カフェでもあったのでコーヒーを頼んだら、隅の方で外国人が酒を飲んでいた。その男に声をかけ、私も熱燗を飲み始めた店である。
「松島酒店」、どういうわけかこの日は閉まっていた。それであるからか、趣があった。
錆びついた看板、はげ落ちた壁面、味がある。これもまた、町中アート。


清原和博の初公判が行われた。
佐々木主浩が情状証人に立った。清原和博、罪を潔く認め、更生を語った。
求刑は、懲役2年6か月。情状酌量がつくであろうが、重い刑である。
が、清原、潔い。
見苦しい舛添要一には、その後もさまざまな疑惑が出てきている。ネットオークションで多くの版画などを政党助成金で買っていたとか、なんだとか。そのメールを報道された後すぐに、削除している。見苦しいよ。
潔い清原和博でなく、嘘を塗り固める舛添要一にこそ、懲役2年6か月を課すべきではないか。
その舛添要一の罪状、いくらでもある。
「嘘をついた罪」とか、「ズルをした罪」とか、「厚顔非礼の罪」とか、と。どの局面で切り取っても、舛添要一の罪はついてまわる。


上野の国立西洋美術館、世界遺産にという動きはずいぶん前からあった。
今日、その動きがあった。
国立西洋美術館ばかりじゃなく国としても。私は、そんなことをしなくても、という立ち位置であった。
国立西洋美術館、都美術館はもちろん、国立近代美術館に比べても、「そうだな」といった感はある。
ル・コルビジェの作品、たしかにそう、という感じを受ける。
そうなんだ。