オホーツクふらふら行(27) ノシャップ岬。

稚内港からバスターミナルまで5、600メートル。タクシー、5分ばかりで着く。
途中、JR宗谷本線の踏切を渡る。「日本最北の踏切」だそうだ。稚内、何でも「日本最北の・・・」なんだ。
2時すぎ、バスターミナルから宗谷バスでノシャップ岬へ。ノシャップ岬までは、さほど離れていない。15分ほどで着く。
ターミナルからは4、5人が乗ってきたが、途中で皆降りていった。地元の人である。ノシャップ岬まで乗っていたのは、私ひとり。
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バスを降りる。左の方へ道が延びる。家はある。しかし、人の気配はない。
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少し進む。目の前に赤白ダンダラ模様の灯台。
このノシャップ岬灯台、高さ42.7メートルで全国2位の高さだそうだ。バスターミナルの前、JR稚内駅構内にあった無料パンフにそうあった。
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あと少し進む。
物音は何もない。とても静か。最果ての地、まさにそう。
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近寄るが、人が住んでいるようには思えない。ジッと潜んでいる。
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灯台の方へ向かう。
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左は、ノシャップ寒流水族館。右は、わっかりうむ。
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わっかりうむ、稚内市の科学館。
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閉まっていた。
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灯台の裏手へまわる。
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ノシャップ岬、オホーツク海と日本海とが出会うところ。
この少し前、1台の車が走っていった。
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すぐ近くに稚内恵山泊漁港公園がある。右下の案内板にそう書いてある。
向こうに若い男が2人見える。先ほどの車に乗ってきた男のようだ。
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私は、そこまでは行かない。カメラのみ近づける。
ノシャップ岬のシンボル・イルカの像と2人の若い男。イルカの時計は2時40分近辺。
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すぐ横は漁港。
漁船が陸にあがっている。
左に、<ノシャップ岬近海で取れる魚介類>と書いた板がある。ボウとしてよく読めないが、敢えて読むと、毛ガニ、ミズダコ、カレイ、ウニ、コンブのようである。
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向こうは海。
ノシャップ岬にいたのは、2時すぎから3時前までの40分ばかり。寒かった。いや、冷たかった。
バスで稚内バスターミナルへ戻り、タクシーでホテルへ帰る。道の駅でウイスキーのポケット瓶を買って。
夜、ホテルの食堂へ降りていった。それまでも斜里でも網走でも紋別でも、ホテルの食堂で夕食を食べていた。
熱燗を頼みゆっくりと時間をかけて。数人か数組であるが、いずれのホテルにも何人かの人がいた。が、稚内最後の食堂には、私以外誰もいなかった。
食堂を出る時、白衣を着た料理人の男に、「今日は私ひとりだったのですね。時間をとらせてすみませんでしたね」、と言ったら、「いえ、今は」、と返ってきた。出された料理の半分も食べられず、それでいて1時間以上も時間がかかる私、申しわけない思いであった。
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その日、3月3日の道新一面。
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稚内の気温、最高ー3度、最低ー6度。
たしかに寒く、冷たかった。



「オホーツクふらふら行」、この翌日の3月4日、稚内を離れ小樽へ行き、その翌日の5日、新千歳から羽田へ帰る。オホーツクから離れる。
実は、ひとつ気になっていたことがある。オホーツクと言えばこれであろうというもの。田中小実昌の『オホーツク妻』である。
しかし、田中小実昌の『オホーツク妻』については、この「流山子雑録」でも何度も触れている。
田中小実昌・コミさん、1979年に直木賞を取る。が、その4、5年前、これで確実と言われていた『オホーツク妻』が直木賞を逃した時の、新宿ゴールデン街のバー「まえだ」のママの「これで直木賞が取れなければ、コミは・・・」、と言って荒れていたことなども2、3度記した。
まあ、そうは言っても「オホーツクふらふら行」にコミさんの『オホーツク妻』を省くことはできない。戸川幸男の『オホーツク老人』、桜木紫乃の『氷平線』、西木正明の『オホーツク特急』などよりもはるかに。
コミさんとおぼしき男が品川から船で釧路に行く。釧路から根室、知床半島をまわり、<網走から・・・、オホーツク海を北上する湧網線のディーゼルカーに乗った。オホーツク海ぞいに稚内までいくつもりだったのだ>。
湧別、紋別、そして、その先には鉄道のない雄武。雄武の飲み屋で会った女。漁船の男が寄る港々の町に行き、男が来るのを待つ。オンリーである。オホーツク沿岸であるから「オホーツク妻」。そして、枝幸から稚内へ。さらに体を重ね。コミさんの世界だ。
『オホーツク妻』について記したことは度々あるが、その書を載せたことはない。載せる。
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田中小実昌著『オホーツク妻』(河出書房新社 昭和50年刊)。装幀者は野見山暁治。
文化勲章を受けた中では少し変わっている野見山暁治、コミさんのカミさんの兄貴である。コミさんの本の装幀や挿画を描いている。
私には贔屓の作家が幾らかいる。コミさんもそのひとり。コミさんの著作も数十冊は持つ。その挿画、装幀、滝田ゆうや南伸坊といったいかにもコミさんというものもあるが、野見山暁治のものがコミさんに相応しい。