オホーツクふらふら行(9)博物館網走監獄。

東京五輪・パラリンピックの1年程度の延期が決まって、まずは「ホッ」っとしていたら、その後急にキナ臭くなってきた。東京での新型コロナウイルスの感染拡大が、一気に進んでいる。
昨日夜、小池百合子がこう言った。「感染爆発 重大局面」だと。
オーバーシュートだとかロックダウンだとか、といった言葉が飛び交っている。今日は、政府対策本部を立ち上げてとか、「緊急事態宣言」云々といったことも。政府は、7年近く「回復」としていた文言を修正、景気判断を下方修正した。
内閣府からは、リーマンショックと東日本大震災を合わせたよりもダメージは大きい、という声も出ている。
感染症専門家の皆さんが異口同音に言っている「3つの密」とは真逆の、ほとんど人の居ないところをふらふらしていた私であるが、やはり何やらこそばゆい。オホーツク沿岸、人の姿を見ることがホントに少ないのだが。
どうもイマイチ気が乗らないなということはあるが、尻切れとんぼもナンなので続けることとする。


網走と言えば、まず頭に浮かぶのは刑務所だ。
東條英機などA級戦犯が収監され処刑された巣鴨プリズン(東京拘置所)や、3億円事件の府中刑務所も思い浮かぶが、何といっても網走だ。
網走刑務所、明治23年(1890年)に作られた。130年前となる。
その旧網走刑務所の歴史的建造物25棟を保存展示する野外博物館として、1983年に「博物館網走監獄」が作られた。
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鏡橋。
網走刑務所に収容される時も、晴れて出所の時もこの橋を渡る。<水面に我が身を映し>、と図録にある。
4、50年ぐらい前の夏、私も網走川に架かる鏡橋を渡った。中へは入れなかったが、表門を見た。
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バスの1日パスを持っていると、入館料は割引となる。だが、70歳以上だと割引はそれ以上、半額550円となる。
この日、2月29日の日中の気温はー5℃。
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赤煉瓦造りの堂々たる表門(正門)。
なお、立っている看守は人形。
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シックな色調の旧庁舎。重文。
なお、博物館網走監獄には、古い網走刑務所から移築復原された建物のうち8棟が、国の重要文化財に指定されている。
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旧庁舎内は、現在このような展示やミュージアムショップとなっている。
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このような一画や、
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このような一画に。
出てきた15年前に訪れた時求めた図録には、受刑者が作った小さなニポポ人形を求めたことも記されているが、今回は何も買わなかった。
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裏門。
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漬物庫と耕転庫。
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監獄歴史館。
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「終結身分帳」。
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盛りだくさん。
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この色は、囚人・囚徒の色。
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「番外地」。
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健さん。
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監督:石井輝男、主演:高倉健、『網走番外地』。
<どうせ死ぬなら娑婆で死ぬ>、<オホーツクの飛沫をあびて、白い原野に・・・>の惹句。
作詞:タカオ・カンベ、作曲:不詳 『網走番外地』。
本家・健さんが歌う中、以下2番のみを。
     キラリ キラリ光った 流れ星
     燃える この身は北の果て
     姓は誰々 名は誰々
     その名も 網走番外地
80に近いじじいが『網走番外地』と聴くと、ひょろひょろ、へろへろの身が熱くなる。新型コロナウイルスのことなど、どうでもよくなる。安倍晋三と小池百合子に任せる。森田健作には任せられないが。
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監獄歴史館には、日中だというのにツララが下がっていた。陽の光を浴びて。
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舎房。これも重文。
5翼の放射状の舎房である。明治45年(1912年)に建てられたものを、昭和60年(1985年)移築復原された、と図録にある。
道は除雪はされてはいるが、気をつけないと滑る。私は、ストックを使いゆるりと進む。
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舎房へ入る。
<中央見張所を中心に5翼の木造による舎房が現存するのは、世界でもこの網走のみで、・・・>、と図録に。
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放射状舎房の一翼。第一舎。
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第一舎は、雑居房が32房。
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天井は高い。明かりが入る分厚いガラスには、金属線が織りこまれている。脱走することはとても不可能。
が、近代日本犯罪史上群を抜く、2人の脱獄王がいたそうだ。明治期の五寸釘寅吉こと西川寅吉と昭和の白鳥由栄。この二人、網走監獄から脱獄しているんだ。そういうミニ企画もあった。
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第四舎は、独居房。
広さ4.9ヘーベ、3畳ほどの独房が80房並ぶ。
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浴場。
総身彫りとも言える「くりからもんもん」の男も。
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懲罰房。
規律に反したり反抗したりした囚人・囚徒を、7日間閉じこめておいたそうだ。窓がない独房である。
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これも重文、教誨堂。
大きな建物であり、中にはさまざまなものが展示されている。教誨師たちのことや、中での趣味の数々が。俳句や短歌、文芸誌もある。書道や絵画も。
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こういう一画があった。
似顔絵。右からオードリー・ヘップバーン、美空ひばり、そして、皇后・美智子さまであろう。昭和を思わせる。
山田風太郎もその著に記しているが、昭和の男が美女として思い浮かべるのは、美智子さまが多いのだ。このことは網走刑務所の受刑者も同様、ということのようだ。


ところで、北海道生まれの八木義徳は北海道がらみの物語を幾つも記しているが、中に『網走刑務所』(「北海道文学全集 第14巻 この風土に育つ」 昭和56年 立風書房刊所載)という直球ど真ん中というタイトルの作品がある。
主人公の男が、17年ぶりに北海道への帰郷の旅をする。札幌の駅頭へ向かえてくれた旧友に旅程はと訊かれ、摩周湖や阿寒湖などとともに網走刑務所のことも話す。北海道庁の高級官吏であったその旧友、網走支庁へ電話をかけ、向こうから網走刑務所の方へ、となる。主人公の男が網走刑務所に着いた時には、不在の所長に代わり副所長が出迎える。官僚のイヤな面だが、現実にはこういうことが多いのであろう。
副所長は、主人公の男を刑務所の隅々まで案内して回る。
八木義徳がこの作品を書いたのは、昭和25年であるから、刑務所内の主な建物は、今、博物館網走監獄に移築されているものである。刑務所内での文芸や書道、絵画といった趣味活動も。で、主人公の男、こう言うんだ。
<「そうすると、現代の刑務所ではほとんど完全な文化生活ができるッていうわけですね。・・・不足しているものは何」でしょう?・・・>、と。
網走刑務所の副所長に案内された主人公の男、中庭に咲く大輪のカンナの花を見て、・・・、・・・、・・・、<そうだ、この百パーセント文化的な刑務所の中で、たった一つ不足しているもの それは女だ>、と。<彼等への唯一の刑罰は、彼等に女をあたえぬことなのだ>、と。
北海道文学、そこまで言うか、というものが多いな。どうも。
その後、監獄食堂で何か食おう、と思った。
15年前は監獄食を食った。囚人が食べているものと同じもの。しかし、今はそのようなものは食えそうにない。普通のそばにした。半分ほど食った。