オホーツクふらふら行(10) 囚人道路。

<北海道の春は遅い。北海道も東のはずれにある網走では、三月の半ば過ぎまで、全てが厚く積った雪に閉ざされている。・・・・・。海までが鉛色に鈍く輝く流氷におおわれていたのだ。・・・・・。「もう今年で、明治も二十四年だな」 二十六歳になったばかりの鉄之介は、・・・>。安部譲二著『囚人道路』(講談社 1993年刊)は、こう書きだされる。
この秋川鉄之介は、旧御家人の次男坊なんだが、秩父困民党事件に加担して捕えられ、逆賊として20年の懲役刑を申し渡され、網走監獄へ送られてきたんだ。
錦の御旗を押し立てた官軍が幕軍を打ち破り、徳川の代から天皇の代となる。天皇を押し戴いた薩長土肥のの連中がヘゲモニーを握る。彼らに抗った者は、逆賊、逆徒とされ、10年、20年といった懲役刑をくった。秋川鉄之介のように。そういう時代であった。
ところで、博物館網走監獄の展示で最も多く触れられているのは、囚徒(囚人)たちによる北海道中央道路の開削についてである。旧庁舎や監獄歴史館などの展示で。
f:id:ryuuzanshi:20200229111507j:plain
18世紀半ば以降、ロシアの南下圧力が強まる。そのロシア南下政策に対応、防御を固めるため、囚徒(囚人)が送りこまれた。
右下の顔写真は、(左)初代北海道庁長官・岩村通俊、(中)太政官大書記官・金子堅太郎、(右)元老・山県有朋。
何故、ロシアに対する防御の先兵として囚徒が送りこまれたのか。中央の写真・金子堅太郎の「囚人苦役論」に拠っている。読みづらいが、こういうものである。
<元々彼等は暴戻の悪徒であって、尋常の工夫では耐えられぬ苦役に充て、これにより倒れても、監獄費の支出が減るわけで万やむを得ざるなり>、と。あいつらは元々悪いヤツなんだから、普通の工夫では耐えられないような苦役もやらせろ。たとえ倒れてもコストが少なくてすむ、と。
金子堅太郎、何ともひどいことを言っている。しかし、これが明治政府に取りいれられる。
元老中の元老である長州出身の山県有朋も、酷いことを言っている。人権意識なんてどこにある、という。そういう時代と言えばそういう時代であったのであろう。
f:id:ryuuzanshi:20200229111744j:plain
明治23年(1890年)、釧路監獄署網走囚徒外役所が誕生する。後の網走監獄・網走刑務所である。
f:id:ryuuzanshi:20200229112748j:plain
網走から北見峠までの道路開削である。
f:id:ryuuzanshi:20200229112817j:plain
このような。
f:id:ryuuzanshi:20200229130853j:plain
このような情勢、このような状況であったのだが、これを描いた安部譲二の『囚人道路』に戻る。
秋川鉄之介は、明治23年10月、この北の果ての網走に汽船で送られて来ている。
一杯機嫌で、わがもの顔で東京の街を歩いていた新政府の役人に石を投げ、シルクハットを吹っ飛ばし、すぐに捕えられ散々殴られた揚句に反逆罪で、これも20年の懲役刑を言い渡された左官職人もいる。
初代内閣総理大臣・伊藤博文も出てくる。
伊藤博文、初代北海道庁長官の岩村通俊にこう言う。「なにがなんでも、その45里を千人の囚人を使って、24年内の7ヵ月で完工させろ」、と。
<おそらく囚人に大勢の犠牲者が出るだろう。・・・。「この非情をあえてすることが、日本国の宰相としての自分の責務なのだ」と、伊藤博文は心に決めている。・・・>。
安部譲二の『囚人道路』、その主人公は、秩父困民党事件に連座し、懲役20年の刑を食い網走に送られてきた秋川鉄之介である。
が、実は、もう一人主役がいるんだ。伊藤博文がもう一人の主人公。どうしてか。最後の最後に分かる。ウッ、そうかやはり、と。
f:id:ryuuzanshi:20200229125808j:plain
博物館網走監獄にこういう建物があった。
f:id:ryuuzanshi:20200229125858j:plain
休泊所。動く監獄。
秋川鉄之介もこのような休泊所で寝て、過酷な中央道開削に従事していたのであろう。
f:id:ryuuzanshi:20200229130933j:plain
監獄歴史館の中では、このような映像も流れていた。
網走に送られた囚徒たちによる、過酷な作業の映像である。
f:id:ryuuzanshi:20200229131521j:plain
網走監獄の初代典獄(所長)・大井上輝前は、囚徒たちに、網走ー北見峠間163キロの道路ができた時には、お前たちを解き放つ、放免する、と語っている。
f:id:ryuuzanshi:20200229131035j:plain
しかし、典獄の言葉は信用できない、と思っている男がいる。信州出身の赤沼兵衛という男。ある時、逃走しアイヌのコタンに逃げこむ。
赤沼兵衛、同じ武士の出である秋川鉄之介をも助け出そうとする。
それと共に安部譲二の小説は、秋川鉄之介とアイヌの酋長の娘・トウルシノの恋物語となっていく。
f:id:ryuuzanshi:20200229131047j:plain
そうか、旧御家人の網走監獄に囚われている若い男とアイヌの酋長の娘の恋物語は、それはそれでいい。
が、最後の最後、安部譲二はその著『囚人道路』にこう記している。
<工事が終われば解き放つという約束を反故にして、全員抹殺したのだが、これは伊藤博文の他には3名の政府首脳しか知らなかった初めからの計画だった>、と。
何と、伊藤博文、生き延びた囚徒をも鏖(みなごろし)にした。何とう。
f:id:ryuuzanshi:20200229131759j:plain
安部譲二、この書の「あとがき」にこう記している。
戸川幸夫先生がダンボール箱一杯の資料を貸して下さいました、と。「貴君が小説で書くのなら」、と。
伊藤博文に対する思いも記している。
憎悪の念から畏怖の念となった心情を。
国家を思い。