ヨコトリ(10) アジアを漂う。

新港ピアでの第10話と第11話、森村泰昌はこう述べる。

アジアの美術をどう捉えるべきか、と考え・・・

広大な忘却の海、旅はまだまだ続く、と。

これ、どういう作品だったのか、何というタイトルだったのか、作家は何という人だったのか、まるで憶えていない。
しかし、どこかアジアの地を漂っている作品には違いない。感覚的なものであるが、おそらく、そうであろう。何とも言えぬ雰囲気がある。

ヤン・ヴォー作≪我ら人民は≫。
2011〜2013年 銅 石川コレクション(岡山)。
ヤン・ヴォー、ベトナムで生まれ、デンマークで教育を受けた作家。この作品は、”自由の女神像”を原寸で型取り、各パーツをそのまま展示した、というものらしい。
自由の女神、マンハッタンの先ッぽのバッテリー・パークから船に乗って見に行ったことがあるが、これがどの部分なんてまったく解からない。でも、アジアの広大な忘却の海を漂う作品なんだ。
それにしても、この作品を所有している岡山県の石川さんという人、凄い。このような、まあ、ナンじゃこれってものをコレクトしているんだから。

手前のダンボールにも、後ろの壁面にも、ハングルが書かれている。
キム・ヨンイク≪無題≫。
1990年 ミクストメディア 作家蔵。

深い感を覚える。

記されているハングルの意は解からない。
しかし、カンヴァスに描かれたフォルムと抑えた色調は、まさに”忘却の海”を漂っている。”日本海”とか”東海”とかというケチな問題などには気もとめず、より深い海をゆっくりとたゆたっている。
深い忘却の海を。


高倉健が死んだ。
一週間少し前、悪性リンパ腫で。83歳。一週間少し経った今日発表されるなんて、健さんらしい。
多くの人が追悼の言葉を発している。私は、横尾忠則の言葉を待っていた。横尾忠則が描く長ドスを持った健さんのイラスト、その素晴らしさと言ったら、というもの。
横尾忠則、こう語っている。
「・・・・・45年ほどのおつきあいが走馬灯のように廻った。思い出はたくさんある。ありきたりの言葉、たとえば時代が終わったなんて言いたくない。僕にとっては三島由紀夫さんがなくなられて以来のショック・・・・・」、と。
横尾忠則のように深いものではないが、私にとっては、こう。
1960年代、抱き寝の長ドス映画人は、作り手では大島渚、役者では高倉健であった。

     春に 春に追われし 花も散る
     酒ひけ酒ひけ 酒ぐれて
     どうせ俺らの 行く先は
     その名も 網走番外地


     キラリキラリ光った オホーツク


     遥か遥か彼方にゃ オホーツク


     追われ追われこの身を 古里で
作詞:タカオ・カンベ、作曲:不詳、『網走番外地』。
高倉健のこの歌に引かれ、網走刑務所へは二度行った。
刑務所の前まで行き、網走監獄の博物館へも、と。
厳冬のオホーツクの海を見に、と。

     義理と人情を 秤にかけりゃ
     義理が重たい 男の世界
     ・・・・・ ・・・・・
     ・・・・・ ・・・・・ 
     背中で吠えてる 唐獅子牡丹
『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』。作詞:水城一狼・矢野亮、作曲:水城一狼
健さんと共有したオレ達の20代。

健さん最後の映画、一昨年の『あなたへ』。
監督は降旗康男。健さん、205本目の映画。
富山刑務所の指導技官の健さん、富山から飛騨高山、京都、大阪、瀬戸内、門司、そして平戸と廻るロードムービーであった。
平戸で海に出て、死んだ女房の遺骨を海に散骨する。
健さんの最後もかくや、と思われた映像であった。
その実情は知らないが、「ありがとう」。