10度目の新槐樹社展。

10年か。10年になるな。新槐樹社展へ行くこと、10度目となった。
年が明け1月中旬から下旬にかけての頃、光田節子からの封書が届いた。新槐樹社展のチケットと共に、典雅な便箋に万年筆で記された手紙が入っている。
<・・・。又一年。試行錯誤で続けてきた絵を昨日東京へ送り出しました。・・・>、と記されている。
この1月下旬から今月初めにかけて案内をいただいていた個展やグループ展が幾つかあった。が、出るのが億劫でいずれも失礼した。しかし、2月中旬の新槐樹社展の光田節子の作品だけは見に行かなければならない。そう思いこんでいる。
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国立新美術館での第64回新槐樹社展。
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去年の光田節子、会員賞を取っていたなと思い何気なく今年の受賞者を見ていると、アレッ、光田節子、今年も受賞している。奨励賞を。
新槐樹社展も出展者は多い。2年続けての受賞なんてあるのか、との思いがある。
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あれだな。光田節子の作品が見えてくる。
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近づいていく。心して。
<・・・。何を描きたいのかと改めて考えてみますと、私の中では唯々美しい色の表現が出来るように、という思いしかないことに改めて気付かされて居ります。・・・>、と先般の光田節子の書状にある。
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光田節子の今回の作品。
(右)は、≪私の山 ’19 -Ⅰ-≫。(左)は、≪私の山 ’19 ーⅡ-≫。
「私の山」を追い続けること、10年変わらず。
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≪私の山 ’19 -Ⅰ-≫。
奨励賞の札が。
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昨年、会員賞を取った光田節子、準委員に推挙されていた。しかし、その後で頂戴した手紙の中にこういう一節があった、
<・・・。準委員推挙にはおどろきました。うれしくないといえば嘘になりますが、推挙は受けないことにしました。今のままで今しばらく研鑽を重ねたいと思っています。・・・>、との。
光田節子、日々勉強を積んでいる。
私から光田節子へはeーメイルを出しているが、光田節子から私へは手紙が来る。3年前の手紙に確かこのような一節があった。やや朧げではあるが、「私も80を過ぎたが、絵を極めるにはあと50年はかかる」、との。そのニュアンスは少し異なるが、北斎じゃないかと思うことがある。
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光田節子、透明水彩で描いている。が、手紙の中にはマチエールのことがよく出てくる。
<油絵では・・・。だが透明水彩には・・・。思い切って和紙を使ってみました。・・・>。
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<無作為に薄い和紙を手で裂いて・・・絵の上に置き、更に絵具を重ねたのです。・・・>、とある時の光田節子の文面。
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<和紙は思わぬ効果を生みました。・・・>。
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<・・・。透明水彩を塗り重ねると濁ってしまいます。和紙は下の絵具と交じるのを防いでくれました。・・・。和紙の色が加わり・・・>、と記された書状もある。
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≪私の山 ’19 -Ⅱ-≫。
光田節子、若くしてご亭主(私の縁戚の中では最も頭の良かった男。地球物理学者であった)を亡くした。それから後、法事の席で絵を描いているという話を聞いた。「お好きな作家は?」と訊いたのに対し、「マーク・ロスコ」という答えが返ってきたのにビックリした。数年前の手紙には、<子供も孫もいない私にとって、前に向かって歩くために選んだのが最も不得手な絵でした。・・・>、とある。で、マーク・ロスコ命となった。私の表現、下世話に過ぎるが、「ロスコ命」。
実は私もマーク・ロスコが好き。光田節子には叶わないが。
昨年、久しぶりに佐倉へ行き、DIC川村記念美術館の「ロスコルーム」に身を置いてきた。変型菱形のロスコルームの中央、革張りの低いスツールに座り、ロスコの「シーグラム壁画」7点を眺めていた。人によっては祈っているような人もいるが、私はそこまではにはならない。しかし、素晴らしい空間である。テート・モダーンやワシントンのロスコルームと共に、パリ、オランジュリー美術館のモネの「睡蓮の間」と比べることができるものであろう。
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光田節子の手紙、いつもロスコ愛に溢れている。
<私はやはり、ロスコが好きだと思いました>。
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<しかし私はロスコではないのです。ロスコに近づきたいとは思いますが、才能もキャリアも全く異なる私ですから、ロスコのような絵に到るまでには遠い道を歩むことが必要です。・・・>、と光田節子。
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<恐らくいくら努力してもロスコのようになることは不可能です。・・・>。
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恐らく今年、83、4歳であろう光田節子、10代の少女のような思いの吐露。
日々、年々、美の極みを追い求めている。
この2、3年、何かヘンだな、身体のあちこちおかしくなっってきたな、と思っている私などとは大違い。その創作力、それ以上にその生命力に驚く。
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その近場に首からプレートを下げた人がいた。新槐樹社の関係者だな、と思い声をかけた。賞のことを訊こうと思って。
その人はこう言った。「私は出展者なので、賞のことは分かりません。賞は委員の先生方が決めていますので」、と。そして続けて、「私は60歳を超えてから絵を描きはじめました。ここに出すのも5年目です」、と。さらに続けて、「私の作品がそこにあるんです」、と言う。隣の部屋であった。
この作品である。
風車が描かれている。「ラ・マンチャの男、ドンキホーテですね」、と言ったら、その人はこう答えた。「ヨーロッパのどこそこの、と言いたいところですが、実は近場の風車なんです」、と。
右は、柏の○○公園にある風車だそうだ。左は、佐倉の○○公園にある風車だと言う。共に○○のところは忘れたが、風車の周り、季節毎に花が咲くんです、とその人は言う。
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細野茂紀≪色なき風≫。
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細野茂紀≪風光る≫。
2点ともとても爽やか。明るい。
マーク・ロスコとは対極である。
マーク・ロスコ、1970年、自死した。67歳で。
私のことを思い煩う。間もなく79歳となる。あちこち不具合がある。どうするか。