流山子雑録     『酔睡胡乱』

光田節子の験力。


新槐樹社展で光田節子の作品を観るようになって9年となる。
毎年、テーマ、そしてタイトルは「山」。短いサブタイトルは毎年変わる。終始一貫突きつめている。まったくぶれない。何しろ、富士山の稜線を取っ払ちゃった、と言うのだから。それを聞いた時には驚いた。
そんなことは、北斎も、広重も、鉄斎も、大観も、梅原も、その他日本を代表する絵描きの誰ひとり思いもつかなかったことであるから。富士山に代表される「山」を面と色彩で追及していく。以前、「求道者」と評したことがある。が、昨年ついに私が音をあげた。「毎年毎年、どう違うのだ」、というようなことを記した。言うまでもなく私の眼が節穴であったんだ。
今年もその季節が来た。光田節子からチケットが送られてきた。
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2月初めの東京、細かい雪が降っていた。
地下鉄乃木坂から国立新美術館への木の通路にもうっすらと。
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第63回新槐樹社展。
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今までは見たことはなかったのだが、どういうことか入口近くの受賞者一覧を見た。会員賞のところに光田節子の名があった。別の掲示物には、会員である光田節子が準委員に推挙されていた。おめでたい。
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寒く雪空の日であったから、来ている人はほとんどいない。
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光田節子の作品が見えてきた。
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今年の作品は、これだ。
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<身の苦によって心乱れざれば証果おのずから至る>。(田中利典著『よく生き、よく死ぬための仏教入門 「神仏和合」の修験道ならではの智慧』 扶桑社新書 2018年刊)。
続けて、修験道の僧・田中利典はこう記す。<これは役行者が遺されたとする聖句のひとつですが、体に苦痛があっても心が乱れなければ、悟りはおのずから得られるという意味で、・・・>、と続ける。つまり、ぶれなければってことであろう。光田節子の姿勢とどこか繋がる。
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今年の「私の山」、どこか光ってる。
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これ。
会員賞受賞の「なつ」。
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そのマティエール。
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おそらく和紙が使われている。
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「私の山」の「はる」。
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中へ。
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中へ。
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斜めから。
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斜めから。
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ところで、今回初めて気づいたことがある。
新槐樹社展、多くの作家が出展しているが、朱色のサインと言うか落款があるのは光田節子以外いなかった。
ただなんて記されているのかは、分からない。7、8年前までは黒い色でサインが記されていた。「節子」の「節」と。だから、この朱色も「節」であろう。
ところで、最初に記した「験力」である。
前掲書の田中利典、こう記している。
<修験者は山中に分け入り、山を駆け、あるいは山にこもって、・・・・・、まさに死と隣り合わせの厳しい修行を通して、験力(功徳のしるしが現れること)や自己の高まりを得るのです>、と。
光田節子の「験力」である。


ところで、この26日から3月初めにかけ光田節子、地元京都で個展を開く。
タイトルはもちろん「-私の山ー」。
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関西にお住まいのお方は、ぜひどうぞ。
それにしても京都の地名、長くて書くのは面倒だがその響きは何とも言えないな。
「河原町丸太町」なんて。