斎藤ちさと なみとα展。
奥野ビル505号室を出ると、すぐ近くに表から見ると白っぽい部屋があった。静かな、というか静謐な感を受ける。
それまで505号室の丸山恵美子の派手やかな部屋にいたので、余計にそう思う。
502号室のギャラリーカメリア。
後で、こういう案内状をもらった。
「なみとα|斎藤ちさと」、と記されている。
部屋の中には、白っぽく見える平面作品が、左の壁面に8点、右の壁面にはただ1点のみ掛けられている。それのみである。上下に筆や筆記具を走らせたような線、造形。
ストンとこない。難しいな。ひょっとして禅画かな、とも思う。
暫くして出ようとすると、「こちらにもあるんです」、と言う。
その部屋へ入ると・・・
こういう映像が流れている。
その映像は・・・
微妙に・・・
変化していく。
このプロジェクターから。
何か上下に揺れている。
このようにも。
私は、何かが揺れ動くのを楽しんでいた。
この時には、私はこの揺れが、「波の打つような」ものであるとは知らなかった。
ひと筆で。
山がいっぱい。実際には、波が打っているんだ。
ここから入った。
初めに入った部屋が見える。
そのすぐ左に、この文字があるのに気がついた。
こういう言葉。
谷村元珉純甫って初めて知る名である。地震学者なのか。
作家の斎藤ちさとさんに訊いた。
斎藤ちさとさん、こういう本を持ってきた。
谷村元珉純甫なる男、伊予国大洲藩の医師である。知らなかった。その末裔の谷村英彦さんが、約200年前、何代も前の人の遺した文書をまとめたものらしい。
昔の医者は物知りである。谷村元珉純甫、地震のことにも詳しかったのであろう。
作家・斎藤ちさと、その谷村元珉純甫の「地震は・・・・・ 波の打つように ・・・・・」にインスパイアされて今回の作品を創ったようだ。
片側の壁面の作品8点。
さまざまな波が打つ。
波が。
対面の壁面にはこの作品1点。
近寄る。
たしか、シルクスクリーンで刷った上に銀箔を貼った、と話していたような覚えがある。
やはり波ではあるのだが、よく見ると後ろに建物のようなものが見える。
「うんっ、これどこかの建物じゃありませんか?」、と作家・斎藤ちさとさんに訊いた。「そうです。これは築地です。築地の景色です」、と語り、「私は築地で働いていたんです」、とも。さらに続けて、「築地から豊洲へ移ってから、もう2、30軒が潰れてます。皆さん豊洲へ移ったことを怒ってますよ」、とも語る。「初めに築地から豊洲へ移すってことを決めたのは慎太郎の頃でしょうか?」、と訊いたら、「そうです。慎太郎の頃です」、と返ってきた。
いつだったか暫らく前、木場の東京都現代美術館から新橋行きのバスに乗ったことを思いだした。コミさんを真似たのんびりとしたバスの旅であったが、途中で豊洲も築地も通った。豊洲は市場の近くであったはずだが、そのような感じはしなかった。豊洲市場、やや外れているのかな。
斎藤ちさとの作品とは関係のないことながら、そのようなことも。
いただいた斎藤ちさと展の案内状、4面ある。
その1面を。
「なみとα」展、面白かった。勉強にもなった。
今日、パールハーバーでは78回目の記念式典が催されていた。
78年前、日本の奇襲により亡くなった2400人の米国人を悼む式典が。
今日夕刻、アフガン・ジャララバードで銃撃され殺された中村哲さんの遺体が、中村さんの夫人や娘さんと共に成田に着いた。
7時のNHKニュース、日本時間昨夜、アフガン・カブールの空港での模様を伝える。
赤いカーペットが敷かれた上を、正装したアフガニスタン軍人に護られ中村哲さんの棺が進む。最高の栄誉で送られている。
アフガン人として生き、アフガン人として死んだ、とも称えられている。棺はアフガニスタンの国旗で覆われている。
中村さんの棺をアフガンの大統領・ガニが、軍人と共に担いでいることには驚いた。
中村さんを襲った犯人はまだ捕まっていない。しかし、彼らは明らかに中村哲さんを狙っていたであろう。今日のニュース映像からみて、その感を深くする。
アフガン大統領・ガニ、中村哲さんを政治利用している。それまでも、表彰したり、市民権を与えたり、と。
中村哲さんを殺した犯人は、恐らくISの分派であろう。彼らにしてみれば、中村さんは政府側の人間とうつったであろう。
昨日夜、11時からのNHK、ETV特集で「追悼 中村哲さん」という番組が流された。2016年に放映されたものの再放送。タイトルは、「武器ではなく命の水を」。
中村哲さん、アフガンの人を救うためには、医者では追いつかない、と考える。水だ、と。
で、聴診器を重機に持ちかえ、アフガンの乾いた大地に井戸を掘り、用水路を作る。医者であった中村哲さん、土木のことなどど素人。独学で治水のことを習得する。それをアフガンの乾いた土地に試みる。先頭に立って重機を操り。多くの地元住民も雇いいれ。多いなる雇用創出でもあった。
しかし、中村哲さん、理想主義者であるんだ。いいと思うことへ突き進んでいく。現実世界には、さまざまなことがあるのに。今から思えば、中村哲さん、あまりにもピュアであった。
そこをアフガン大統領・ガニに利用された。そう思えて仕方ない。
改めて無念な思いが沸きあがる。