犬飼三千子展。

犬飼三千子、グループ展は四六時中行っているが、個展はやはり2年に一回。
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銀座4丁目和光裏のギャラリー・オカベへ。
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ギャラリー内を見ると、アレッ、あの大きい作品、前回展にも出ていたのじゃないか。
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犬飼三千子の個展には、毎回初日に行っている。初日のオープニングに酒を持って。この狭いスペースに3、40人の人があふれているのが常である。
しかし、今回展には初日に行けなかった。身体の具合が悪い上に、この暫らく前、腰椎の圧迫骨折が分かったこともあった。が、ゆっくりとなら歩いて行くことができる。会期中に行った。いつものオープニング時の熱気はなかったが。
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犬飼三千子、この大きな作品がよっぽど好きらしい。
≪緑のシンフォニー≫ 90X500cm。これのみアクリル画。
実は2年前の前回展の時にも、私はこの作品についてあまり芳しいことは記していない。ウーン。
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こういう世界がいい。
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≪森で遊ぶ≫ 60X90cm。木版。
犬飼独自の造形。
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≪風にのって≫。
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≪森で憩う≫。
森で遊んだり、風に乗ったり、森で憩ったり、というタイトル素直でいいな。今までは「往にし方」なんて、初めの頃は私は読み方さえ知らなかった。犬飼三千子、平穏な心で描いているようだ。深い森の中、犬飼三千子のみが知る世界。
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このコーナー。
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10X10cmの小さな作品は、(上)は≪天上花≫ 銅板。(中)は≪ダンス≫ 木版。(下)は≪小さな窓≫ 木版。
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≪森の宴≫ 60X90cmの木版4枚組。
深淵な宴、美しい。
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近寄る。
面白い。
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より近寄る。
この造形、この色彩、不思議。
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ウン。
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栗のイガを思わせる。
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海胆のトゲトゲとも。
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あっちを切り取っても、
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こっちを切り取っても、犬飼ワールド、犬飼の世界。
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面白い。


昨日、先般の杉浦良允の作品集上梓記念を兼ねた、学生時代の古い仲間の忘年会を新宿で持った。
犬飼三千子も来ていた。一昨々日記した小澤潔も来ていた。
実は、小澤からは一昨日夜、1枚の画像が送られてきた。私が、今年の版画展の小澤の作品に人物の影がないのが云々、と記した故である。送られてきた画像、なかなかいい。人物、男の姿が入っている。本を読んでいる。行動し、考えているんだ。
昨日、小澤と話した時、小澤はあれは落ちた作品なので載せないでと言っていたが、人物がいるのといないのと、対になる作品として制作した、とも語っていた。「とじられた本」とそれを読む男、対であるならばそれも紹介しなければ。小澤の了解を得ないままその作品を貼りつけます。小澤、ごめん。
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これである。
≪とじられた本≫の対となる作品・≪ひらかれた本≫。
素晴らしい。


今日、中村哲さんが、アフガニスタン・ジャララバードで銃撃を受け死んだ。
腹部へ2発の銃弾を受け。
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私の中では、中村哲さんは緒方貞子さんと共に誇りであった。日本人であることが誇らしく思える数少ない人の一人であった。
アジアの貧しい人たちを助けよう、力になろうという人がいる。
以前、カトマンドゥの食堂で会った人に誘われ、近藤亨さんという人を支援する会に入っていたことがある。近藤亨さん、ネパールの奥地・ムスタンで、貧しい人たちへ農作を教え地域整備に努められていた。94歳で亡くなるまで。また、30年以上前、インド・サールナートで学校へ行けない子供たちのための学校を作るという日本人のお坊さんにあったことがある。そういう人たちがいる。
しかし、時折りニュース映像に現れてくる中村哲さんは、ある種別種の輝きがあった。
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中村さん、1年の2/3はアフガンの地へ行っていたそうだ。
タリバンはいち早く、この事件には関与していないとの声明を出した。IS、イスラム国が怪しいが、中村さんは帰らない。
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医者ではあるが、それではどうにもならないことがある、と。
それで井戸を掘り、灌漑用水を作り、と。
アフガン東部、危険極まりない地域である。中村哲さん、「いつ命が」という覚悟は常に持っていたであろう。
そして今日、その時が来た。
涙が流れる。