今年の二科展。

ここ数年の暑い夏だと、暑気払いをする気も起らない。安倍晋三は毎年「桜を見る会」を催していたようだが、私たちの花見は飛び飛びになった。だんだんと皆で会おうということが少なくなっている。
その中で久保寺洋子の二科展には、毎年その日に集まることができる者はそこそこ集まる。仲間内の級長的な存在である小澤が束ねるからである。
今年は9月12日であった。
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毎年変わらぬ国立新美術館の二科展のポスター。
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お、もう何人かが来ている。
毎年、久保寺の作品の前で集合することになっている。
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今回展の久保寺の作品、いつも工藤静香がかかっている壁面に変わっていた。
久保寺作品の一つおいて右に工藤静香の作品が見える。
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久保寺洋子≪輪違屋Ⅱ≫。
久保寺洋子、輪違屋ひとすじ。
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京都島原の輪違屋、久保寺の画面で馴染みとなった。
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工藤静香≪心の華B≫。
今年の作品、娘さんの姿が消えた。娘さん、現実世界にデビューしたので、お母さんの画面からは消えたのか。
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色づかいは工藤静香調。
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我らジジババ、久保寺作品の前で記念撮影。今年は13人か。
昨年も一昨年もその前の年も、二科展のこの久保寺作品の前には、伊藤と羽生夫婦がいた。
が、伊藤は今年初め急逝した。実は、羽生もこの時には死んでいた。私たちが羽生の死を知ったのは10月半ば。四十九日も済んだので、という羽生夫人からの挨拶状と共に送られてきた羽生の別れの手紙によって。羽生、8月末に旅立っていた。粋な別れの手紙を残し。
学生時代の古いサークル仲間、今までもポツリポツリといなくなっているが、同じ年に二人旅立たれたのは初めてである。次々に後期高齢者の比率が高まっていく古い仲間、あちこち不具合が出ている私を含め、来年の二科展のことがチラと頭をかすめる。
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二科展、毎年、なにがしかの特別展示を行っている。
今年はこういう展示があった。
「キッズ・ゲルニカ」。ピカソのゲルニカのような平和を願う、壁画制作プロジェクトらしい。
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こうも。
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あの大震災と原発で被害を受けた福島県浪江町の小・中学校の作品。
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このような。
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2階から下を見る。
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ピカソのゲルニカと同じサイズの作品が並んでいる。
広島や上海、その他あちこちを描いたものが。
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「キッズ・ゲルニカ」、世界中で行われている模様。
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コラボ展示、「起き上がりこぼし」というものもあった。
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あの3.11の大震災の後、高田賢三がはじめたそうだ。
スペイン、ウクライナ、イタリア、フランスの人たちの手になる「起き上がりこぼし」。
スペインでは、フラメンコダンサーや日本語学科の教授の手になる「起き上がりこぼし」。ウクライナでは、チェルノブイリの子供やチェルノブイリ博物館副館長の「起き上がりこぼし」。イタリアではローマの前市長や他の人たちの「起き上がりこぼし」。
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高田賢三がとっかかりとしたフランスでの「起き上がりこぼし」の幾つかを。
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リヨン市長の「起き上がりこぼし」。
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ジャン・ポール・ゴルティエの「起き上がりこぼし」。
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高田賢三の「起き上がりこぼし」。
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コシノ・ヒロコの「起き上がりこぼし」。
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アラン・ドロンの「起き上がりこぼし」。
かっての超美形、このような丸々とした女性を描く。
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中央はジャン・レノの「起き上がりこぼし」。
ジャン・レノ、らしい。
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二科展の後は、元々は居酒屋の帝王・石田宏が私たちを誘った「松ちゃん」へ。
コスパなんて言葉は引っこんでろ。ここが六本木かよってぐらい安い安いの「松ちゃん」である。
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石田、そこでこの書を全員にくばった。
『銭湯』、画・文 石田宏。
石田宏からは、1、2年に一度ぐらいの頻度でその作品集をもらう。「街々邑々 勝手に〇〇案内」だとか、「勝手に街歩き」だとか、「酒場呑み」だとか、「食堂呑み」だとか、と。
どこを歩いても、概ね呑み屋巡りである。その模様が描かれている。洒脱な筆で。
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それが今回は銭湯となった。
日本中あちこち経回っている石田ならでは。しかし、幾つもの銭湯が廃業したと記されている。時代であろう。
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9時前、六本木の地下鉄の駅へ歩く。
今年の二科展は盛沢山であったな、と思いながら。