サロン ど 東京展 長月。
Gallery銀座一丁目の丸山則夫展で会ったジョルジュ・スーラの≪グランド・ジャット島の日曜日の午後≫を思わせる女性・北野さほさんがグループ展をしているという2階のギャラリーへ先に行く。
手動エレベーターで下へ降りる。
奥野ビル202、アートスペース銀座ワン。
何やらラディカル、アナーキーな感じがする。
もらった案内はがき。
昔、東京のモンパルナスは池袋にあったが、今は銀座にあるようだ。
「サロン ど 東京展」、その長月・9月の部のようだ。
ギャラリーに入ると、3人の男がいた。皆さん帽子をかぶっている年配者。
「今、北野さんから聞いたのですが見せてください」、「そうですか、どうぞ」。「写真を撮らせてもらってもいいでしょうか?」、「どうぞ、いいですよ」。「ブログをやっているのですが、そこに載せてもいいでしょうか」、「どうぞ、かまいません」。こういう応答のもと、そこにいた3人の作家の作品を撮らせてもらった。
左側に見えている作品は・・・
そこにいたお一人、大島進さんの作品。
上の作品のタイトルは、≪△の仲間と⊡の仲間≫。下の左右の作品のタイトルは、≪静物A≫と≪静物B≫。下中央の作品のタイトルは記載なし。
「上の三角、四角の作品と下の静物は、ずいぶん異なるものですね」、と訊いた。「ずっと絵を教えていたものですから、どんなものでも描けるんです」、と大島さん。描くプロなんだ。
もう一人はこの作家・中茂。
左は、≪ANDESの風≫、右は、≪ブルーなときめき≫。その右のパイパチバディーの作家はいなかった。
風が吹き、何かときめいている。ラディカルな「長月」の展示を中和しているように思える。
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そこにもう一つあるんです、と中さん。
小さなステンドグラス、≪ハートに灯をつけて≫。
アートスペース銀座ワン、202号室である。窓外、路上を歩む人が見える。
スーラのグランド・ジャット島の北野さほさんがアートスペース銀座ワンへ戻ってきた。
北野さほの作品3点。
左の作品は、≪ZUBROWKA≫。ボールペン、アクリル。
昔、3、40年前、新宿西口のしょんべん横丁に小さなバーがあった。ある男がいつもそこでズブロッカを3、4杯ひっかけていた。ズブロッカ、とても強い。その男、後にアルコール依存症になった。
それはそうと、ボールペンとアクリルで描かれた作品、ズブロッカ同様ハンパない。
強い美。ポーランドの大地なんだ。
北野さほの中央の作品はこれ。
≪LAPHROAIG≫。ボールペン、えんぴつ。
「LAPHROAIG」って知らなかった。北野さんに訊いた。「ウイスキーです」、と返ってきた。日常はほとんど焼酎になってしまった私、ウイスキーなど稀に飲む酒になってしまって久しい。「LAPHROAIG」、シングルモルトのスコッチだそうだ。
右側の作品は、≪MARTINI≫。ボールペン。
マティーニ。
カクテルといえば、昔、ブラディーマリーをよく飲んでいた.。が、ブラディーマリーは、そうではあるがカクテルらしくはない。カクテルといえばマティーニである。何と言ってもやはり。今、その機会は、年に一度ありやなしやであるが。
そんなことよりも、北野さほの作品、凄い世界を描いている。
ボールペン、線を描く。こちらからこちらへ、不思議な線が続いていく。
グランド・ジャット島から戻った作家は描く。
私が行った時ギャラリー内にいた3人の男の内、あと一人残っている。
このギャラリーのオーナー、織田泰児。
織田泰児の作品。
斜めから撮ったが、どうしても写りこんでしまう。
こういう作品。
価格は、他の人の作品価格よりひと桁低い。これじゃ額縁代にもならないであろう。どういうことかよく解らぬ。
奥野ビルには時折り行っている。しかし、202号室には行っていなかったようだ。202号室のオーナーである織田泰児さんのことを知らなかった。
その作品に、額縁代にも満たないであろう値段をつけている織田泰児さんのことを。織田さん、チョー有名な絵描きであることなども。
皆さまには、9月はどうなるか分からないが、10月には載せます、と話していた。
しかし、その後身体の具合が悪くなりブログもお休みしたり、ラグビーW杯が始まったりで、遅れ遅れで11月も下旬となってしまった。言行不一致、お許しを。
ローマ・カトリックのフランシスコ教皇、今日は上智大学で話した。
弱い人たちへ思いをよせてほしい、と。
フランシスコ教皇、82歳であるが驚くほど元気。
こう語って飛び去っていった。