足利CON展(1) 若いお母さん。

4月中旬から6月初旬にかけ、北関東の足利で「あしかがアートクロス」というアートイベントが催された。
<足利で、アートが花咲く2ヶ月>と謳い、この間に10のアートイベントを行っている。その掉尾を飾るのが「CON展」であった。
「あしかがアートクロス」なんて、私はまったく知らなかった。「CON展」のことも。
5月の初めごろ、和紙作家の河瀬和世さんから来信があった。
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こういうパンフが入っていた。
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こういう手紙も。
足利までは100キロばかり、さほど遠くはない。日帰りもできる。
が、すぐさまひと晩泊まってこようと思い、ホテルを予約した。今の私、行動がともかく遅いので。
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6月6日、昼過ぎに東武の足利に着いたが、この日はとても暑い日であった。ゆっくりと昼飯を食い、チェックインの時間には大分早い時間であったがホテルへ行った。部屋のクリーニングは済んでいるので、ということで部屋へ入れてもらった。ホテルのベッドで暫らく横になっていた。CON展を見る前に休憩となった。
暫らくひっくり返っていた後ホテルを出、CON展の案内所へ行った。ここである。
登録をすると・・・
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このような展示エリアの記された案内書や資料をくれる。
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このようなバッジも。
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案内所のすぐ横に、何年か前まで旅館であったという旧足利館がある。その1階ホール部分が、CON展の展示会場のひとつとなっている。
入ってすぐ右にはこのような作品が。
CON展の各会場には、ボランティアの係の人がいる。その係の人、この作家は、たしか金沢の人でと言ってた。
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その先。
係の人、「ああ、あの作品の作家は、今、そこにいますよ」、と言う。
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白鳥が並んでいる。
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タイトルはこう記されている。作家は小林弥生、と。
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係の人が作家を連れてきてくれた。
小さな子供を抱いた若い女性であった。若いお母さんである。
そう言えば、作品の左の方に乳母車が置いてある。
「あなた、小さなお子さんを連れて来ているということは、足利の人ですか?」、と訊いた。「そうです。足利に住んでます」、と返ってくる。何となく楽しくなる。地域密着のアートイベント、という思いがして嬉しくもなる。
描かれた白鳥のことも描いた顔料のことも、何も訊かなかった。
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「あのー、こちらにもあるんです」、と作家である若いお母さんは言う。
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白鳥が飛んでいる。
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こちらにも若いお母さんの白鳥が。
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この旧足利館の展示場には5人の作家の作品があったが、言葉を交わした若いお母さん作家・小林弥生の作品のみを。
暫らく「あしかがアートクロス」 CON展の模様を記します。


今日、美術評論家・早見堯から長文のメールが来た。
昨日のブログで、昨日の朝日夕刊に載っていた高階秀爾のやや長いコラムについて記したことについての。北斎の≪西瓜図≫についての。
早見堯、斯界の大先達である高階秀爾の「西瓜図」についての論考を、「さすが高階さんは凄い」、と言う。どうも早見堯がその論考の根拠としていた学習院大学の今橋理子という先生が20年近く前に雑誌「国文学」に発表した論考、昨日の高階秀爾のコラムはこの今橋理子さんの説を否定しているものだそうだ。早見堯が根拠としていた説を。
話しは、中国伝来の物語と日本のお伽話に移る。私には少し難しい。面白いのであるが。
早見堯から来た今日のメール、分かりやすいところだけコピペしておこう。
<高階修爾さんは北斎の「西瓜図」は、これまで言われてきたような中国由来の「乞巧奠」を表した絵ではなくて、日本の昔話「棚機津女」が中国の牽牛と織女の「星伝説」と江戸時代に「習合」して、天の川の星に願いをかける「七夕」になり、その七夕行事を、北斎が西瓜で表現したのだと言っています>、と。
もうひとつ分りやすいところを・・・
<高階さんの方が説得力があるかなとも思うのですが、よくわかりません。
日本の文化は中国文化と日本古来の文化がごちゃまぜになった「習合」なので、七夕も、中国の牽牛と織女の星伝説や乞巧奠、日本古来の棚機津女などがごちゃごちゃになってると思います。
「令和」も万葉集だけど、純日本製ではなくて、もとは漢籍にあったものが、日本製「万葉集」に引用だれただけなのですから>、と早見堯は記している。
いずれにせよ、ヘンな絵だなーと思っていた北斎の≪西瓜図≫、学究の族にはさまざまな思いを抱かせるようだ。