バラナシ逍遥 その翌日朝。

10年半前のバラナシ、翌日の朝もサイクルリクシャーでガンガーへ向かった。中心部のダシャーシュワメード・ガートへ。
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町中を進み・・・
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ガートへ。
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私は沐浴することなどはとても無理。
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犬が多い。
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ボートでガンガーに触れるため。
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ダシャーシュワメード・ガートで舟に乗る。
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沐浴している人がいる。
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白い髭のじいさまだ。
三島由紀夫は『豊饒の海第三巻・暁の寺』で、バラナシのことをこう記す。<病者も、健やかな者も、不具者も、瀕死の者も、ここでは等しく黄金の喜悦に充ちあふれてゐるのは理である>、と。
このじいさまも。
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ガンガーには・・・
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多くの舟が。
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私も小さな舟に乗っている。
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ガンガーの水面に、さまざまな舟が行きかう。
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洗濯屋である。
ガンガーの淀んだ水に洗濯物を漬け、石に叩きつけて洗う。
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この人たちは泳いでいる。
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真ん中の舟は花売りだ。
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川面に流すお祈りの花を売っている。
灯籠流しである。
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私も小さな器に花を盛った祈りの品を流す。真ん中のロウソクに火を点して。
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何を祈ったのかは忘れたが、ロウソクの点った小さな花の器は、ガンガーの淀んだ川面をゆっくりと流れていった。
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岸辺にこういう一団がいた。
ヒンドゥーの何らかの団体であろう。
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こちらはひとり。ヒンドゥーの行者・サドゥーである。
手に松明を持ち、祈っている。
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ガンガーに向かい、燃え盛る松明をかざす。
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少し進むとマニカルニカー・ガートがある。
炎が上がっている。
積みあげた薪の上で、死者を荼毘に付している。一日24時間、次々に。
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ガンガーの流れの上、少し離れたところから撮った遺体を焼く荼毘の炎である。
この光景を近くから撮ることは許されていない。それを犯すとどうなるか。遠藤周作の『深い河』をお読みいただきたい。
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このガートにはおばあさんが。
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このばあさまも深い。
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バラナシのガンガーである。
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戻る。
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舟に乗ったダシャーシュワメード・ガートの方へ。
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この辺りで舟を降りた。
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陸地に上がり、バラナシの路地裏を歩く。
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あばらの浮き出た牛がゴミをあさっている。
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野良犬が多い。
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この棚の上にも。
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路上で花を売る人が多い。
マリーゴールドなどの花は、ヒンドゥーの祈りには欠かせない。
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ここにも。
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インドにはもの思う人が多くいる。
この人は、何を考えていたのであろうか。
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バラナシを思い、再び行くことができないであろうインドを想う。


今日、内閣総理大臣・安倍晋三は、先般のハンセン病家族訴訟判決について控訴しない、との政治判断を下した。国の責任を認めた。
当然のことではあるが、安倍晋三、立派な決断を成した。


今日の朝日夕刊に<西瓜の皮に願いを>、という高階秀爾の一文がある。月に一度程度載る「美の季想」という5段を取った少し長いコラムである。白抜きで<北斎と七夕>、とも。
ひと月近く前、東博での「美を紡ぐ、日本美術の名品」展のことを記した。令和への改元に伴なう皇室がらみの展覧会の模様を。その折り、宮内庁三の丸尚蔵館所蔵の北斎の≪西瓜図≫に触れた。何とも不思議な絵だな、というのが私の印象であった。
と、その翌日、美術評論家の早見堯からメールが来た。酒井抱一の≪乞巧奠≫と北斎の「西瓜図」を比較した論考。そのような、それほどのものなのか、というのが私の思いであった。知らなかったって。
それが今日、早見堯が一目置く美術評論の大御所・高階秀爾があの不思議な絵、北斎の≪西瓜図≫について長文の論考を記している。
北斎の絵としてはヘンな絵だなー、と思っていた私の目の節穴具合、改めて思いしる。