平成最後の年明け。

ついに平成最後の年明けとなった。
今上天皇は4月30日に退位され、5月1日に新しい天皇が即位される。昨日、政府は新しい年号は4月1日に事前公表すると明らかにした。新しい御代、おそらく平成の御代とは大きく変わるであろうと思っている。
年賀状を作らなきゃならないなと思いながらその気にならず、昨日の大晦日、フジのRIZINを見ていた。メイウェザーと那須川天心の一戦、茶番劇だな、見るのをよそうかなそんなもの、と思いながらもやはり見てしまった。年甲斐もなく格闘技が好きなんだ。
昨日のRIZINの試合、みな見ていたワケではない。メイウェザーがまだホテルにいるとか、白いロールスロイスでホテルを出たとか、前ふりばかりなのはまあ仕方ないとしながら、メイウェザーと神童・那須川天心の試合を待つ。
今、「試合」と打ったがショーなんだ、エンターテインメント・ショーなんだ。メイウェザー自身が「エンターテインメントのためにトウキョーへ行く」と言っているんだから。
高田延彦が「意味のある試合である」と言っているのは、RIZIN幹部としての発言、分からないではない。<伝説を目撃せよ!!>、<奇跡は起こる>という惹句も、いかに商売とはいえ、よく言うよ、とは思いつつ乗せられてしまう。
5階級の世界タイトル元保持者であり、50戦無敗のフロイド・メイウェザーにはるかにウェートの軽い那須川天心がボクシングルールで戦う。キックボクサーの武器のひとつ・蹴りもなし。グローブでの打ち合いのみ、というルール。最終的にグローブのみは8オンスと10オンスのハンデがつけられたが。
3分3ラウンドのエキシビション、勝負になどまったくならなかった。那須川天心、1回も持たず3度のダウンを喫し、2分19秒でTKO負けとなった。そのダウンもボクシングの試合で通常目にするダウンとは異なっていた。パンチを受けた那須川天心、吹っ飛んでいた。
メイウェザーの試合をラスベガスのリングサイドで見ているという、この試合、いやイベントの前に国歌を歌ったGACKTは、メイウェザーを日本で見られることだけでも凄いこと、と話していたし、「本来やってはいけないことなんです。こういう試合は」とか、「那須川天心の勇気に打たれた」なんて試合後言っている解説者の皆さん方、よく言うよって思い。ま、それにまんまと乗せられる方がバカなんだが。
プライベートジェットで多くの取り巻きを引き連れ来日、2分19秒リングに立ち、900万ドル(約10億円)のファイトマネー(ファイトマネーというより実質上は、10億円のギャラと言った方がいい)を手にし、今日、帰って行ったんじゃないかな、メイフェザーは。
メイフェザーにとっては2泊3日の東京へのアルバイト旅行だったのであろう。
インタビューを受ける時、何度も”Tokyo Japan”という言葉を繰り返していた。
ほんの2、3分で900万ドル(10億円)を稼がせてくれるTokyo Japan、大好きってことであろう。メイウェザーの内心は。


ところで昨年、身体の具合が悪くなり入院したり、1、2か月の間ほとんど外へ出なかったりした期間はあるが、2度旅をした。
ひとつは久しぶりの神戸。神戸港で潜水艦を見たり、以前から行きたいと思っていた横尾忠則の美術館へ行ったり面白かった。
あとひとつはバンコク。学生時代からの友人である高橋重夫が、タイ政府観光庁の写真展で最優秀賞を取った副賞のエアーチケットをもらったことで行った。10数年ぶりのバンコク、面白かった。
1日、アユタヤへ行った。
年初、思いに残るその模様を改めて留める。何枚か。

アユタヤの寝釈迦である。

仏塔・ストゥーパ。
鋭いストゥーパだ。よりゆとりがあるインドのストゥーパとは異なる。

黄色はアジアの色だな。

この女性、仏塔・ストゥーパの横で一心に祈っている。
先ほどまで連れ合いがいたのだが、その男はどこかへ行ってしまった。

アユタヤの地。遺跡である。

仏さまがおわし。

木々のまにまにストゥーパが。

この人、男だったか女だったか思い出せない。笠を被り、法衣のようなものを着ていた。
そのことを思い出す。アユタヤで。


今年、どのような年になるのだろうか。
そして、私はどのようになっていくのだろうか。
今日、郵便受けを開けたら年賀状と一緒に日本尊厳死協会の会報・「Living Will」の2019年1月号が入っていた。
理事長・岩尾總一郎と松尾幸郎の対談「最後のあり方はこれでいいのか!」を読む。
管になど繋がれない最後を、と改めて思う。