美しい所作 祈り。

格闘技が好きで、ロクな番組のない大晦日に格闘技番組が組まれると嬉しくなる。
昨日は、フジのRIZINとTBSのKYOKUGEN、2局をあっちへ行ったりこっちへ来たりと、カードを見比べながら行き来していた。
一から十まで完全なものではないが、曙 vs ボブ・サップも、格闘技デビューのバルトがピーター・アーツを圧倒した試合も、馳浩が文部科学大臣としてエメリア・ヒョードルに花束を渡し、「日本とロシアの友好のために・・・」、と挨拶したことも、TBSの6年ぶりに復帰した魔裟斗 vs 山本KIDも、WBAフライ級チャンプ・井岡一翔が久しぶりにKOで勝利した試合も、すべて堪能した。
格闘技が終わり、11時45分からはNHK。「ゆく年くる年」である。これも楽しみ。幾つかのお寺の除夜の鐘が聞けるから。
昨日も、幾つかのお寺の除夜の鐘の中継映像を見た。
中に、永平寺の鐘楼で、除夜の鐘を撞くお坊さんの姿があった。

鐘を撞き合掌するこのお坊さんの所作、なんて美しいんだろう。
このように美しい合掌、久しぶりで見た思いがする。

チベット仏教の五体投地にも似たこの額づく所作も、得も言えず美しい。
この祈り、何処にも通じるに違いない。

昨年末、学生時代の古い仲間とのグループ展に出した作品。
タイトルは、≪佛≫とした。
真ん中の首のない仏さまは、タイ、アユタヤの仏さまである。アユタヤの遺跡には、昔、ビルマの兵隊に切られたという首のない仏さまが多くおわします。
周りの仏頭は、東京・平和島の骨董市、カンボジア・シェムリアップの道具屋、北京の蚤の市、香港のキャットストリートの骨董屋で求めたものを描いた。
いずれも、佛。祈りである。

7年前のデリーのモスク。
ムスリムの人たちの祈り、厳かで犯しがたいものがあった。
バカなアメリカ人が持ちあげているドナルド・トランプ、ムスリムのモスクにも行かずにバカなことをほざいている。トランプを共和党候補に残したりすれば、アメリカのバカさ加減、世界に拡散する。

インド、ヒンドゥー教の聖地中の聖地・バラナシ。
ガンガー河畔に燃え盛る松明を持ち片足で立つヒンドゥーの行者。”行”は”祈り”でもある。

4年近く前のパリ、サンジェルマン・デ・プレ教会。
教会内に灯された多くの蝋燭に、人々は祈りを捧げる。

2年少し前、高野山の宿坊・赤松院での朝の勤行。

那智の大滝。
日本に限らない。自然そのものが神となる。祈りの対象となる。