京都・洛西苔めぐり(7) 化野念仏寺。

平安時代、京の町の三方の山辺に葬送地があった。北の蓮台野、東の鳥辺野、そして西の化野である。当初は風葬、つまり野ざらしである。
祇王寺から化野念仏寺へ。
この間は少し距離がある。標識では15分となっているが、私の足では20分ばかりかかった。

途中からこのような石畳の道となる。両側の建物も、どこか余所行きの佇まい。

このようなポスターが貼ってある。
平成31年、つまり再来年に、化野念仏寺は開創1200年を迎えるようだ。

化野念仏寺の参道に着いた。

その横に、このような案内板がある。
化野念仏寺の来歴由来が記されている。

参道の途中に二体の石仏がある。
苔に埋もれ、何故か気にかかる。
鎌倉時代の石仏だそうだ。秀逸。

化野念仏寺の境内へ入る。
ところで、人生の達人である兼好法師は、『徒然草』第七段の冒頭にこう記す。
<あだし野の露きゆる時なく、鳥部山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、いかにもののあはれもなからん。世はさだめなきこそいみじけれ>、と。
この世は、定めがないからこそ素晴らしく面白いのだ、と兼好法師は言っている。私はボーとした頭で、そうなんだろうなー、と思うのみ。

小さな数多くの石仏が苔の中にある。

こちらには苔の中のあちらこちらに。
赤い前垂れをつけているのはお地蔵さまであろうか。

何かが見えてきた。

ストゥーパ(仏塔)だ。

サンチーの仏門じゃないか。

横にこのようなものがあった。

やはり、そうであった。
サンチーのストゥーパと仏門を摸したものらしい。

洛西の寺、苔と切り離せない。

ここを通り・・・

化野念仏寺の境内には、約8000体を数える石仏や石塔があるそうだ。
<何百年という歳月を経て無縁仏と化し、化野の山野に散乱埋没していた石仏を明治中期、地元の人の協力を得て集め、・・・・・>、と化野念仏寺のパンフにある。
「西院の河原」、と言っている。

裏の方、竹林があり、土塀がクネクネってくねっている。
途中であるが眠くなった。続きは明日にする。