今年のおまけ(4) 工事のしるし。

数日前の夕刻、お茶の水駅のホームでのこと、足元を見たらホームに何か模様のようなものがあるのに気がついた。片側が中央線でもう片側が総武線のホームである。
御茶ノ水駅には時折り行く。秋葉原、新宿間は時折り乗るので、お茶の水で乗り換える。だから、なじみのホームなのであるが今までは気がつかなかった。

これである。
丸が4分割されたもの。色は青。少し先に小さなネジのようなもの。さらにその先に小さく青いペイント。NP5とも記されている。
あのホームにはいつでも駅員がいる。おそらく何人も。すぐ側にいた若い駅員に訊いた。「あれは何なんですか?」と。「あ、あれ、工事のしるしです」と若い駅員は答えた。何の工事なのか、また、NP5とは何なのか、とまでは訊けなかった。
あのホーム、中央線と総武線が引きも切らず入ってくる。駅員は入ってくる電車と込み合った乗客に気をつけていなけりゃいけない。電車の乗り降りとは関係のないジジイの能天気な問いになど相手にしてはおられない、ということぐらいは能天気なジジイにも分かっていたので。

それにしても、これ何なんだろう。面白い。青の色合いもいい。
NP5ってのもよく分からないが、面白い。No Problem?ってこともない。、何だかよく分からないが、「おまけ」にはいいんじゃないか。
「めだか」以降、どうでもいいようなことを「おまけ」として記した。実は、どうでもいいようなおまけ、まだ手元にはいっぱいあるんだ。まあ、しかし、おまけというものは何か少し、付録みたいなもの。ほどほどがいい。それに、今日は大晦日、今年はこれから後の日がない。だから、おまけは物理的にも終わりである。


ところで、何だかんだと言って一年間を乗り切ったな、という思いがある。
年初の2月、具合が悪くなり入院した。昨年秋に続く肺炎での入院であった。退院後、4月初めから5月半ばにかけて「住み果つる慣らひ考」を記した。
<化野の露、消ゆる時無く、鳥部山の煙、立ち去らでのみ、住み果つる慣らひならば、・・・・・>、という『徒然草』第7段の冒頭部分から拝借した「住み果つる慣らひ」、「人間に死というものがなかったなら」というほどの意味だそうだが、5、6回と思っていたが23回の連載となった。
主にさまざまな先達の記したものから、私なりに死の問題を考えた。今、読み返すと、<西部邁は幸せであった。・・・>なんてことも記している。自死のこと、尊厳死のこと。
実は、昨年の年初2月にも身体の具合がおかしくなった。どこがどうと言うワケではないが、何かヘンだなって感じになった。結局何がどうだかということは分からなかった。が、ブログもひと月ほど休んでしまった。
何かヘンだなって感じが治まった3月半ば、「私の『あと千回の晩飯』」を記した。その時から1年9か月余、千回の内650回ほど、3分の2は過ぎていったことになる。残りは約350回程度となる。1年弱である。そんなものかもしれないな、という感じもする。あちこちが徐々に弱ってきている。この1年は特にそういう感じがする。
山田風太郎が『あと千回の晩飯』を書いたのは平成6年、風太郎先生が72歳の時である。風太郎先生は「あと千回」どころか2500回ほどの晩飯を食い、79歳で旅立たれた。約1500回、4年ほどの「おまけ」がついた。
私の場合は、昨年3月、76歳で「私の『あと千回の晩飯』」を記した。今年3月には77歳となり、あと数か月で78歳となる。あと1年弱ならば来年秋の頃、78でとなろう。風太郎先生のように幾らか「おまけ」がつけば、もう少しということになろうか。
大晦日、今年最後の日ということで、よくこの日を迎えたなという思いもあり、ついこういう具合に打ってしまった。
この「流山子雑録」、今ではさまざまなお方が拡散してくださっている模様で、それがまた次々にという具合で、お読みくださっているお方のほとんどのお方は私と直接の繋がりのないお方である。だから普段から、何かヘンなヤツだな流山子というヤツは、とお思いであろうが、まあそうです。1年の内、半分とは言わないまでも、1/3か1/4は死ということを考えているのだから。もうそろそろ、と。
しかし、このところ、最近少し変わってきた。偏食でひょろっとした孫娘が、どういうワケか駆けっこが速いとか二重飛びをびゅんびゅん飛ぶと聞いたり、上野のシャンシャンと同じころに生まれた孫坊主が、両手でバランスをとってペンギンのように歩いてくるのを見るうちに。せめて孫坊主が幼稚園へ行くころまでは、と。
孫ごときでヤワなヤツだなとも思うが、どうも仕方がない。
だんだん取り止めなくなってきてしまった。今年の「流山子雑録」、これにてお終いといたします。
1年間、禄でもないブログにお出でいただき感謝申しあげます。
ありがとうございました。