おみおくりの作法。

『悼む人』の坂築静人は、不慮の死を遂げた人を悼む旅を続けている。日本のあちこちを。「あなたは誰に愛され、誰を愛し、どんなことで人に感謝されていたか」、ということを心に留めるため。
イギリスにもそのような、死者に思いをいたす男がいる。

ロンドンのケニントン地区の民生係に、ジョン・メイという男がいる。仕事は、孤独死をした人を送りだすことである。送りだすといっても、ただ葬儀を行うことではない。
亡くなった人の写真を見つける。その人の宗教を探しだす(イギリスだからと言って、アングリカン・チャーチばかりじゃない。カソリックもプロテスタントもいる。今、とかく問題となっているムスリムもいる。他の宗教もある)。その人にあった弔辞を書く。その葬儀にあった音楽を選ぶ。故人の知人を探し、葬儀に招く。自らも葬儀に出席する。
ロンドンの民生係、ジョン・メイ、孤独死をした人に敬意を持って向き合う。
『おみおくりの作法』、そのような男の物語。

『おみおくりの作法』、脚本・監督は、ウベルト・パゾリーニ。
ウベルト・パゾリーニ、「ガーディアン」に載った孤独死した人の葬儀についての記事を読み、孤独、死、人と人のつながり、というようなことを考えたそうだ。

エディ・マーサンが扮するジョン・メイ。
44歳、独身のジョン・メイ、生真面目、几帳面を絵に描いたような男である。

シネスイッチ銀座お得意の、コンパクトなディスプレイ。

「ジョン・メイってどんな人?」ってものまである。
ジョン・メイ、こういう人である。私とはまったく異なる人である。しかし、こういう生真面目で几帳面な地方公務員が、我々の生活を支えてくれているんだって人である。
ところが、ジョン・メイ、上司からクビを言い渡される。財政事情の苦しい自治体の、体のいいリストラである。ジョン・メイ、孤独死をした人に対し、あまりにも思いを寄せておみおくりをしていた故である。
市から言はせれば、孤独死をした人を送るなんてことは、生産性のまったくない業務である。それにも関わらず、ジョン・メイの仕事は金と時間をかけすぎている。ま、そういうことであろう。
「生産性とか効率とか」と、「心とか精神とか」とは、どだい合うワケがない。どのような場であろうとも。
ジョン・メイがおみおくりする最後の案件は、すぐ前のアパートに住んでいたビリー・ストークという老人である。すぐ目の前に住んでいたというのに、ビリー・ストークのことは知らなかった。アル中老人の孤独死だ。

ジョン・メイ、ビリー・ストークをおみおくりするために、あちこちを駈け廻る。
イングランド北部のウィットビーから中部のオーカム、南西部のプリマス、そしてロンドンと。

ビリー・ストークの娘とも会う。ジョン・メイのこれからの人生が・・・、って展開が推測されるようなこともある。
が、ビリー・ストークの葬儀の日、ジョン・メイは、ってことになる。
よっぽどのへそ曲がりでない限り、涙がジワーの結末となる。
それよりもである。
『おみおくりの作法』、孤独死をした人をおみおくりするジョン・メイの物語であるが、その行為の物語ではない。
ジョン・メイ、死者に敬意を持って向き合い、心をこめておみおくりしている。死者の生を探し出し。
『悼む人』の坂築静人と『おみおくりの作法』のジョン・メイ、その死生観、共通するものがある。
死者を送ると言えば、2008年の『おくりびと』がある。
監督は滝田洋二郎、主人公の納棺師には本木雅弘が扮した。あの物語でも、その死生観は同じ。死者は敬意を持って送りだされていた。
死は誰しもにおとずれる。そのすべての人に『おくりびと』の納棺師がいて、『悼む人』の坂築静人がいて、『おみおくりの作法』のジョン・メイがいる。
皆さますべて、敬意を持っておみおくりをしてくれるようであるな。