光田節子もエンドレス。

50年以上にわたり5000点を超える作品を描いてきた山田正亮の活動、確かにendless、エンドレスである。セザンヌみたいだなとか、カンディンスキーみたいだなとか、ミニマルアートなのかとなったり、ウヌッ、マーク・ロスコか、という山田正亮の作品、文字通りEndless。
光田節子もエンドレスである。

新国立美術館での今年の新槐樹社展。

80号から100号の作品が並ぶ。

第10室に光田節子の作品があった。

光田節子、エンドレスである。
招待状が入っていた封筒には、このような一筆箋が同封されていた。フォートリエの作品が刷りこまれた一筆箋に。
<・・・・・。それはそれとして相変わらず絵の勉強をしています。自分の絵が自由に描けるようになるためにはあと50年が必要と考えるのですが、80歳になったことからそれは果たせぬ夢です。でも・・・>、との。
光田節子、ファイティングポーズを取り続けている。

≪私の山ー2016,R−≫。

≪私の山ー2016,G−≫。

暫らく後、若い黒人の男が赤い絵の前で立ち止まった。
「この絵、どう思う?」って訊いた。「何か面白い。美しいよ」、と答える。「あなた、絵を描いてるのか?」、と訊いた。「いや違う。絵を見るのが好きなだけなんだ」、と」いう答えであった。「この絵、80歳になる女性の作品なんだ」、と言った。「女性なのか」、とのことに、「名前に子・koがついてるだろう。子・koは女性なんだ」、と答える。

それはそうと、2016年のR、レッド、赤はこれ。

2016年のG、グリーン、緑はこれ。
共にエンドレスで続いていく。

2月中旬の新国立美術館、窓の外には大きな黄色いかぼちゃがあった。
去年、瀬戸内の直島で見た黄色いかぼちゃよりも大きい。
この後、草間彌生の大回顧展が催されるんだ、国立新美術館では。
それへの準備である。

六本木ヒルズを背景にした桜木への水玉模様のコラボ、転写も。

山田正亮もエンドレスであった。草間彌生もエンドレスである。光田節子もエンドレス。
光田節子、100歳までは軽くクリアするものと思われるが、100歳になってもその描くものはエンドレスであろうか。