富士山。

何日か前に過ぎちゃったが、今週初めの2月23日は「富士見の日」であった。”223”と数字が並ぶから「フジミ」、「富士見」という語呂合わせ。
その少し前の2月中旬、私は富士を見ている。この5年間、ずーっと。
1月下旬頃、もうそろそろだな、と思っていると、招待ハガキが届く。新槐樹社会員の光田節子から。

気合いを入れ、乃木坂の国立新美術館での新槐樹社展へ。

あった。
遠くからでもよく分かる。光田節子の作品だ。
やはり。

下の作品は赤っぽい。タイトルは、≪私の山 − 色 いろいろ Ⅰー≫。
上の作品は青っぽい。タイトルは、≪私の山 − 色 いろいろ Ⅱー≫。
光田節子の”私の山”作品、5年間観てきた。”私の山”に続くサブタイトルが毎年異なる。
5年前の”Ⅰ”、”Ⅱ”が、”瞬刻・朝”、”一瞬の出会・Ⅱ”、となり、”あか”、”あお”となり、昨年は”今”、”これから”であった。今年は、”色 いろいろ Ⅰ”、と”色 いろいろ Ⅱ”。
すべて富士山なんだ。
この5年間の光田節子の”私の山”、すべて富士山。毎年年末、忍野の民宿から眺める富士山に違いない。
今年ひとつ気がついた。
赤っぽい富士と青っぽい富士、その色、以前に比べ明度が深くなっている。どういうことなのかは、分からない。

北斎の≪凱風快晴≫、”赤富士”だ。
近寄る。

     赤富士に露滂沱たる四辺かな   富安風生

≪凱風快晴≫とくれば≪神奈川沖浪裏≫である。
この作品の大きな浪の裏側の青色は濃い。濃い青、群青である。いずれにしろ”青富士”。
     青富士や曲がらぬ径やどこまでも   加藤楸邨

現在の光田節子の”私の山”の原点は、おそらく富士山。毎年、忍野からの富士山をスケッチに行っているそうだから。
上は今年正月、光田節子からいただいた年賀状。
多くの絵描きが富士山の頂角を、90度程度かそれより少なく描いている。しかし、光田節子は富士山の頂角を120度ほどと描いている。リアル、現実に則したスケッチと言えよう。
その上に立っての”私の山”。誰にも文句は言わせない。不退転の富士山。
     ひと魂でゆく気散じや夏の原   北斎