吉書と初凧(続き×2)。

なかのまのおくのま側。

右端は、「江戸角凧」。<武者絵凧 勇ましい子に育ってほしいとの願いで武者絵はよく描かれる>、と説明書きに。
欄間には「盃凧」(新潟・小千谷)。<盃を横から見た時の形をしているので名がついた>、と。
左の床には「沙羅双樹」の大きな文字。沙羅双樹、釈迦涅槃時の沙羅樹の双樹であり、秋元双樹の双樹。
上に見える吊り灯具には「螢火」の文字。夏の「螢火」は、冬の「埋火」と同種では。
中央左よりの軸は・・・

これ。
   目出度さもちう位也おらが春
正月、多くの人の頭には一茶のこの句が浮かぶのでは。めでたさも中ぐらいだな、と。
私も以前はそう思っていた。しかし、中ぐらいでなんてなくてもいいな、と思うようになってきた。ほんの少しでいい、と。

右の句は
   雪散るやおどけも云へぬ信濃空
一茶の故郷、信州・信濃、雪深い。
左の凧は、「まゆ凧」(栃木)。<下野(しもつけ)古凧 大田原地方に残る江戸時代頃の凧版を復刻。絵は「桃太郎」>。

おちゃのまの押入側、多くの凧が。
なお、石栗照平の手になるものと思われるチラシには、以下のようなことが記されている。
世界的に凧は、平和のシンボルとしてほとんどの国に存在している。特に中国、タイやインドでは凧あげが盛んである。
日本の凧は、1070年前頃に中国から伝来された。承平年間(931〜938)の『倭名類聚鈔』に、「しえん(紙鳶)」と記されている。
全国各地で約170種類余がある、と。

右は、「八つ凧」(茨城)。<日立南部久慈川流域に伝わる伝統の凧。明治末期〜昭和初期 昭和33年復元>。
左は、「六角凧」(新潟・三条)。<日本の凧の代表「ロッカク=ジャパン」 折りたためる凧。三条では「イカ」と言う けんか合戦凧・自在に操作できる>。
長押の上には、「耳まがり凧」(福岡・東吉富)。<長崎ハタ系の凧の骨組みで、自在に操ることが出来る。この地域は正月に凧を贈る>、とある。

「八つ凧」、粋な色づかい。

右は、「六角凧」。
真ん中「祝」の文字が入っている凧は、「盃凧」(新潟・小千谷)。<盃を真横から見た形で「盃凧」と言われる。武者絵などが描かれるが、これは正月にちなんだ「祝盃凧」>、とのこと。
左は、「五つ輪凧」(香川・高松)。<三方に宝物を表わしているとも蕪(かぶ)の絵とも。上に五つの輪があるので「五つ輪」と呼ぶ>、と説明書きに。
なお、長押の上の3つは、記号が隠れており名称不明。

「祝盃凧」と「五つ輪凧」。

「五つ輪凧」だけ蕪の色というか菫色というか、やや異なる色である。が、他はすべて赤、白、青、黄、緑、単調な色づかいではあるが、それがまたハレの場の楽しさを表わしているように思える。

篆書体による十二支の屏風。

茂野柰園、<戌は斧の形也>、と記している。
しかし、どうして「戌」は「斧」であるのか、それがよく解らない。「斧の形」、「戌」とよく似ていることは解かるのだが。

こちらの「犬」はどうか。
甲骨文字、最古の漢字である。こちらの「犬」はよく似ている。甲骨文字、犬に限らず馬も羊もよく似ている。すぐ解る。絵文字って言えば絵文字に近いって言えるのかな。

正月だ。
最後に、新潟・小千谷の「祝盃凧」の「祝」のところだけを抜きだしてみる。
白と赤、日の丸の色、日本ではおめでたい。


秩父宮でのラグビー大学選手権の決勝、帝京対明治、素晴らしい試合であった。このような試合を、GG・グッゲームというのであろう。
前半7分、明治がトライをあげる。ゴールはならなかったが、明治から見て5−0で先制。
前半12分、帝京がトライ、ゴールも決まり、7−5と逆転。しかし、明治はその後、2トライ1ゴール、前半を17−7で折り返す。
後半に入り、明治、PGを決め20−7となる。明治、21年ぶりの大学選手権優勝がなるのか、とも思われた。が、そうはならなかった。
その後、帝京、2トライ2ゴールを決め、21−20で9連覇を成しとげた。
帝京は強い。
が、今日のゲーム、帝京、明治両フィフティーンの差は紙一重であった。
明治の連続攻撃が20フェーズを越える場面もあった。帝京、明治のスクラムも互角であった。ボール支配率は明治が上回っていた。強い明治が蘇えっていた。あの「前へ」の強い明治が。この様子では早稲田はおいていかれる。
早明戦で切磋琢磨し、大学ラグビーを引っぱってきた早稲田、このまま置いていかれちゃいけない。来年の1月初め、大学選手権の決勝で帝京と対戦、明治が紙一重の差で敗れた今年の借りを返してもらいたい。早明、また早慶明で競ってきた伝統を背負って。