吉書と初凧(続き)。

双樹亭へは一茶庵の玄関から入る。

一茶庵の玄関を入ると正面にこの凧がある。
展示されている凧には、「いろは・・・」の記号が付けられている。これは「い」。「龍ヶ崎とんび」。<下総の地域一帯にあげられていた>、との説明がある。
大きく描かれた「祝」の文字、いかにも初春って凧である。
一茶庵から渡り廊下を通り双樹亭へ。
現在、双樹亭と呼んでいる建物は、安政4年(1857)に秋元家敷地内に建てられたものを解体、現在地に復元したもの。

双樹亭おくのまへ。
右手の広い床の間を正面から見てみると・・・

大きな「天晴」の掛軸は、明治31年(1898)、小松宮彰仁親王が秋元三左衛門家に立ち寄られた時に書いたもの、という。
「天晴」は、秋元家の味醂のブランド名。皇族であり、元帥陸軍大将でもあった小松宮彰仁親王も、秋元家に気を使ったのであろうか。
その左の凧は、「江戸角凧」。
<江戸の錦絵を描いてあげる角凧、別名「錦絵凧」。絵は「牛若丸」>、と説明に。
右手の2点は各々取りだす。

   幾光年太古の光いまさして
   地球は春をとヽのふる大地
         美智子皇后御歌 柰園謹書
とあるが、作家・茂野柰園による<昭和44年歌会始お題「星」 皇太子妃殿下お歌>、との説明書きもある。
50年近く前の皇太子妃時代の美智子さまのお歌、地球は柔らかな春をととのえる星なのであり、ミサイル遊びをする星ではありませんよ、ということをお諭しになられているようにも受け取れる。
茂野柰園の筆で。

   初夢に古郷を見て涙かな
一茶双樹記念館での展覧、当然のこと一茶の句が多くなる。

おくのま、こちらから見る。

「田原凧」(愛知・田原)。<子どもの健やかな成長を願う「初凧」 実戦糸切凧合戦 横長角凧は珍しい>、と説明に。

廊下の側に張り出した付書院。
   鳴く猫に赤ん目をして手鞠かな
もちろん一茶の句。

   世の中をゆり直すらん日の始め     一茶

おくのまから、なかのま、おちゃのまを見る。
右手の灯りは・・・

これ。
   猫の子がちょいと押へる落葉かな
一茶の句を柰園かく、とある。
それにしてもシャレたスタンド。

廊下に面した襖と障子に。

「能代凧」(秋田・能代)。
<子どもに親しい絵、魔よけの願いで大きな顔で舌を出している絵が代表的な凧。絵は「金太郎」>、と。

中原中也『山羊の歌』から「帰郷」。
   柱も庭も乾いてゐる
   今日は好い天気だ
   縁の下では蜘蛛の巣が
   心細さうに揺れてゐる

   ・・・・・

   ・・・・・

   あゝ おまへはなに
   をして来たのだと
   吹き来る風が私
   に云ふ
      中也の詩「帰郷」
字を書くということと言葉の区切りということには、おそらく決まりはないものと思える。
書くということは感覚的なことであり、論理的な理の範疇にはない。改行ということも含め。

   木漏日の日ざし袖
   にあり森なかの路を
   ゆきつヽけふは元日
      牧水歌 柰園
途中であるが、明日にする。


昨日、外へ出ていてその映像を見ていないが、横審の稽古総見があったようだ。
その場での稀勢の里、豪栄道には2勝3敗、鶴竜には3連敗、都合2勝6敗であった、という。
おそらく稀勢の里、相撲が取れる状態ではない。初場所も休場すべきだ。初場所に出るべきではない。出て無様な相撲を取った場合には引退もあり得る。稀勢、出るべきでない。
稀勢の里、相撲協会に気を使わなくてもいい。周りにいい顔をしなくてもいい。初場所は休んで次の場所に備えてくれ。
稀勢の早期引退なんて、見たくない。


星野仙一が死んだ。急死、という印象がある。
中日、阪神、楽天、という監督歴がいい。ドラフト時には巨人に指名されることを願っていたそうだが、そうでなかったからこそ、多くの人に惜しまれる星野仙一になった。
ニュース映像で久しぶりで田淵幸一の顔を見た。田淵も年を取っていた。