東京裁判。

昭和21年5月3日の『昭和天皇実録』の最後の部分に、このような記述がある。
<この日、極東国際軍事裁判が開廷し、以後二年半にわたる審理が開始される。昭和二十三年四月十六日結審し、同年十一月十二日、刑の宣告が行われる。元内閣総理大臣東條英機ら七人に死刑判決が下される。死刑は十二月二十三日に執行される>、との。極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判に関する短い記述である。
日暮吉延は、牛村圭との共著『東京裁判を正しく読む』(文春新書 2008年刊)の中で、<東京裁判は、きわめて論争的な歴史的事例である。一方は、この裁判は「文明の裁き」であるとして過大な期待をかけ、肯定する。他方は、連合国が持ち出した「戦争犯罪」は第二次大戦で新たに創造された事後法であり、しょせんは敗戦国の指導者だけを問責する「勝者の裁き」にすぎないと否定する>、と記している。
東京裁判、さまざま多くのテーマを内包している。
東京裁判の研究者である日暮吉延の記すようなこと。特に「事後法」の問題、戦勝国による敗戦国の断罪、敗戦国の戦争犯罪のみを対象としたこと等問題は多い。
また、戦勝国による「報復」を挙げることもできる。死刑となった者とそうでない者との境目。判決の少数意見、特にインドのパール判事の判断。全員無罪としたその根拠、考察。
何よりも戦勝国である連合国にとって、昭和天皇の戦争責任を問うか否かという大きな問題があった。敗戦国ドイツを裁いたニュールンベルク裁判と異なり、東京裁判には天皇という問題があった。日本国民の間で特別な意味を持つ天皇をどうするか、という。
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アメリカ国防総省が撮影していた50万フィートに及ぶ膨大な東京裁判の記録映像を、小林正樹が5年の歳月をかけ、編集、制作したドキュメンタリー映画『東京裁判』、1983年に公開された。監督:小林正樹、音楽:武満徹、ナレーター:佐藤慶。
1980年代の私、映画を見ていない時代で、小林正樹のものもこれ以前の『人間の条件』や『切腹』は見ているが、80年代のこれは見ていない。
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今月、4Kデジタルリマスター版として、映像のみならず音響もブラッシュアップされ公開された。
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<君は知っているか  敗戦の虚脱と混乱を、そして平和到来の歓喜を 昭和から平成を超え、令和に問いかけてくる、何を裁き、何が裁かれなかったのかを>、と惹句にある。
<誰が、この戦争を引き起こしたのか ・・・ 至高の4時間37分が鮮やかに甦る>、とも。
そう4時間37分、めたくちゃに長い。だから、途中で10分少しの休憩が入る。都合5時間近く。が、過去を知り現在を思うに必要な時間であった。
なお、このキネマ旬報の直営館では16日までとなっているが、8月末に至ってもまだ続映している。戦争の8月ということばかりでなく、改元の年ということもあるのであろう。令和となり、平成を通し昭和を思う人がある程度いるということであろうか。
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開始早々、昭和20年8月15日の正午放送された昭和天皇の「終戦の詔書」が全文流れる。
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「・・・ 堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ビ難キヲ忍ビ、・・・」で知られるお言葉である。5、6分ぐらいであったろうか。
日本は敗けた。
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中央右よりにチャーチル、ルーズベルト、スターリンの顔が見える。ルーズベルトということは、ポツダム会談に先立つ1945年2月のヤルタ会談の模様。ドイツも日本もそう長くはないことは織り込みずみであった。左中央には、1945年8月30日、厚木に降りたつマッカーサー。
A級戦犯として訴追されたのは28名であった。ここにはその半分の14名が。
左上には・・・
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1940年代の指導者としては、どうして東條英機を入れていないんだろう。ヒトラーやムッソリーニを入れながら。
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1945年9月2日、戦艦ミズーリ艦上での降伏文書交付、そして、東京裁判。
周りには、A級戦犯の残りの14名。
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A級戦犯とされた者に民間人が2人いる。
昭和天皇のお側に長年仕えてきた内大臣・木戸幸一と大川周明である。大川周明、右翼思想家であるが、何故に大川周明、と。
その大川周明が、前に座っている東條英機の頭を平手でパチンと叩いたよく知られた様も流れた。二度叩いている。東條英機は苦笑いをしていた。東條英機、大川周明のことがよく分かっていたのかな。
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昭和天皇の戦争責任に関しては、東條英機。昭和天皇の戦犯訴追を避けるため、さまざまなアプローチを受ける。GHQからも。日本側も『昭和天皇独白録』はじめ、昭和天皇を守る防御線を張る。
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主席検事・キーナン、昭和天皇への戦犯訴追がおよばないように、それは東條英機が被るように、との東條英機に対する誘導尋問も行っている。
GHQの意志であった。ダグラス・マッカーサーの意志。
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<なぜマッカーサーが、天皇を戦犯裁判にかけないと判断したかは、確たる証拠がないのだが、日本を統治するという現実的な目から見れば、「民主主義の伝道者」として自らが日本の歴史に名を残すほうが得策だし、そのためには、天皇を最大限利用したほうがよいとの判断をもっていたようだ>(保坂正康著『昭和史七つの謎』 講談社 2000年刊)。
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ニュールンベルク裁判と東京裁判、決定的な違いがある。
ニュールンベルク裁判は、戦勝国である米英仏ソが均等な力を持っていた。それに対し東京裁判は、戦勝国の中でアメリカが圧倒的な力を持って裁判を進めた。就中、マッカーサーの意向がすべてを左右した、と言っていい。
マッカーサー、そして東條英機の二人が昭和天皇を救った。
しかし、東條英機など7人の死刑が執行された昭和23年12月23日の『昭和天皇実録』には、そのことはまったく記されていない。
その前後を読み進めると、11月12日に<・・・。この日をもって極東国際軍事裁判は終了し、十二月二十三日、絞首刑の宣告を受けた東條英機以下七名の刑が巣鴨拘置所において執行される>、との短い記述があるのみ。
以前にも記した覚えがあるが、昭和天皇をお守りした東條英機に対しあまりにもお冷たい。
上皇となられた先帝の、国民が首を垂れる行動も、恐らくこのような父君のウーンという過去を清算するべきお心であった。
本来、雅な人であるべき天皇が武人としてのお立場となられた昭和天皇、後を継がれた平成の天皇である現上皇がいてくださって国民は救われた。
映画『東京裁判』とは少し離れたか。