遠州三山巡礼(3) 油山寺。

迎えに来てくれたタクシーの運転手は話好きの人でこう言う。「三山へお参りに来たのですか?」、と訊く。「いえ、法多山へ来たのですが、遠州三山が凄いと聞いて、それなら三山を巡ろうか、と思ったのです」、と答える。
「そうですよ。3つのお寺とも大きな寺で凄いですよ」、と言い、続けて「こんな田舎にあるから地元の人にしか知られていませんが、これが奈良や京都、あるいは東京や大阪にあれば大変な寺ですよ」、と言う。確かに、法多山も可睡斎も大寺であり、この後行った油山寺も大寺であった。地元の人が自慢をするのもよく解る。
田舎道を走り、油山寺に着いた。「帰りのお迎えは何時がいいでしょうか?1時間くらい見ておいた方がいいと思います。会社に電話を入れますので」、と言う。確かに車などほとんど通っていない。迎えに来てくれなきゃ帰ることはできない。1時間後に迎えに来てもらうことにした。

この石段の下に着いた。

山門。
少し趣きの異なる山門だな、と思った。掛川城の大手門を移築したそうだ。今、国の重文である。

このような道を進む。

左の方へ行く。

石柱がある。
驥山門。

驥山門、このようなものらしい。

油山寺、山号は医王山、真言宗智山派の寺である。
その境内案内図。
油山寺も広い。境内、50町歩だそう。50町歩は15万坪。東京ドームの約10倍である。
私は、その一部を歩く。

油山寺略縁起。
大宝元年(701)、行基が創建、とある。

薬師本堂と三重塔の方へ歩く。

標識がある。

進む。

左の方へ上るとんでもない階段がある。
百段坂。
ほんとに100段ありそうだ。私はもちろんそちらへは行かない。

しかし、私が進む道にもこのような階段が。

三重塔が見えてきた。

三重塔。

油山寺の三重塔、このようなもの。

あとひと階段、薬師本堂が見える。

薬師本堂。

お賽銭を投げ入れ、常の如く、孫娘と孫坊主の末永い幸せを祈る。

お堂の中へ入る。
絵馬がいっぱい。

「め」の文字があちこちにある。
医王山油山寺、眼病平癒の寺として知られるそうだ。

こちらにも「め」の文字。

内陣の中。

より近づく。

このような説明版があったが、その仏さまなのであろうか。

薬師本堂から三重塔を振りかえる。

油山寺、ごく一部しか見ていないがこれで十分。戻ることにする。

このような道を帰る。

元掛川城大手門であった山門の階段下の石段に腰かけ迎えの車を待つ。ほぼ時間通りに来た。

法多山を訪れるために立ち寄った袋井、図らずも遠州三山を知り、バスとタクシーでにわか巡礼を成した。
法多山、可睡斎、油山寺、いずれも一山すべて寺の大寺。奈良や京都、東京や大阪の都会地の寺とも異なる。いわば、その規模は異なるが、その趣きは高野山や比叡山に近いとも言える。

夕刻、東海道在来線で掛川へ。掛川からこだまに乗り換え帰る。カンビールと静岡新聞の夕刊を求めて。
その静岡新聞、7月5日夕刊の一面トップはこれ。
北朝鮮のミサイルなど横に押しのけている。地方紙はこれであるから面白い。
大阪、道頓堀繁華街のど真ん中の法善寺から、京都洛西の寺々、そして遠州三山の古刹まで、これにて打ち出しとする。
日本の8月はさまざまなことがあり、考えることも多くあり、飛び飛びになったこともしばしばあったが、7月の旅はこれにてとする。