春日大社 千年の至宝。
お寺がらみの特別展にはやや及ばないかと思われるが、神社がらみの特別展も、東博のキラーコンテンツである。ウィークデーでも多くの人が詰めかけている。人口問題と確実にリンクしていることは言うまでもない。
約20年に一度行われる春日大社の「式年造替」、昨平成28年に60回目のそれが行われたそうだ。約20年に一度、おおよそその草創は今から1300年ほど前、奈良時代にさかのぼる、という。
東博正門前の看板。その看板の前にチャリンコがずらーっと並んでいるのを見るのも、東博を訪れる楽しみのひとつ。歯の抜けたような状態の時には、やや気が抜ける。
いずれにしろ「春日大社 千年の至宝」展。
東博での企画特別展の会場である平成館は、実は評判が悪い。
日本の博物館、美術館の顔である東博にあんな建物があるのは恥ずかしい、と言うのだ。東博へは何十回、何百回と行っている何人もの人が。
確かに帝冠様式の本館やネオバロック様式の表慶館、さらに東洋館や法隆寺宝物館も含め、何の特長もないないのが平成館である。春日大社展もそうだが、東博での企画特別展は平成館で催される。
垂れ幕が下がったこのように。
名前を変えたらいいのかもしれない。平成館じゃなく、企画展会場とか特別展会場とかに。展示場としては務めを果たしているのだから。
それはともかく、「春日大社 千年の至宝」展である。
≪鹿島立神影図≫。南北朝〜室町時代・14〜15世紀。
おおよそ1300年ほど前、平城京の東に位置する春日山の地に、遠く常陸国鹿島から武甕槌命(たけみかづちのみこと)という神様が降臨する。凛々しい白鹿に乗って。
春日大社と鹿との関わりの初めであろう。
≪春日権現記絵(春日本)巻第十二≫。江戸時代・文化4年(1807年)。
右方に鹿の姿も見える。
≪鹿図屏風≫。江戸時代・17世紀。
輝かしい金地にさまざまな鹿の群れ。
神鹿である。
不思議とも思えるし、そうでもないとも思えるのだが、春日大社には歴史上の人物から多くの鎧や兜、刀などが奉納されている。「祈願」であったであろう。
その中から国宝の甲冑揃い踏み、それも4領の揃い踏みがこれ。
武具というより、まさに美術品。
いつの頃からであったろうか、東博、企画展、特別展にからむ作品を常設展の中にも登場させている。春日大社の神鹿がらみでのこの作品もそう。
≪牝牡鹿≫。
森川杜園作 木造、彩色。明治25年(1892年)。
<明治26年(1893年)のシカゴ・コロンブス世界博覧会に出品された牝と牡の2体の鹿>、との説明書きがある。
≪神鹿≫。
竹内久一作 木造、彩色。
大正元年(1912年)浅草に生まれた牙彫職人の久一は、奈良で古彫刻の勉強をし、その後、帝国技芸員にもなっている。
なお、本展の音声ガイドは市川猿之助であった。それと共にこのところの音声ガイド、スペシャルゲストなるものを付けているものが流行っている。本展の音声ガイドではさだまさしであった。さだまさし、春日大社でライブも行っているらしいが、それよりも・・・。
もうひとり春日大社宮司の花山院弘匡なる人が出てきた。この人の語りが素晴らしかった。
春日大社、もとより藤原氏の氏神を祀る社である。歴代宮司も藤原一族から選ばれる。花山院弘匡も当然、その公家の出である。しかも花山院家、公家の中でも五摂家に次ぐ清華家、やんごとないお方。味わい深い語り口であった。
レストラン「ゆりの木」で遅い昼食を取った。「ゆりの木」、一人では窓に向かった席に案内される。
2月の下旬にかかる頃、窓の外には梅が満開であった。なお、左に見える建物は東博本館。