栄西と建仁寺展。

<今年は、日本に禅宗(臨済宗)を広め、京都最古の禅寺「建仁寺」を開創した栄西禅師の800年遠忌にあたります>、ということだそうである。同展パンフにそうある。
栄西(”ようさい”とルビがふってあるが、”えいさい”と読んでも間違いではないそうだ)、永治元年(1141年)岡山に生まれる。14歳で比叡山で受戒し、天台と密教を学ぶ。28歳と47歳の二度、宋へ渡り、建久2年(1191年)帰国。建仁寺を開いた後、重源(一昨日記したあべのハルカス美術館での東大寺展にも、国宝のその坐像が出ている重源である)の後をついで東大寺再建にも力を尽くしたそうだ。

5月上旬の東博。
緑色の風神。

白い雷神。

国宝”風神雷神”参上。

平成館の中の垂れ幕。
どこまでも”風神雷神”。
他にも多くのお宝がいっぱいあるのだが。

平成館での特別展の撮影はできない。
中谷美紀による音声ガイド、その纏わりつくような声に、「うーん、堪らない」っていう人もいようが、私には”ちょっとどうもね”ってものであった。
しかし、本館廊下にこういうものが立っている。
本館7室で、光琳の≪風神雷神図屏風≫が展示されている、とのこと。見較べてくれ、と。

これは、特別展の国宝≪風神雷神図屏風≫。
俵屋宗達筆の二曲一双。チラシを複写した。

本館7室、多くの人がいる。皆さんデジカメやスマホを向けている。
宗達の≪風神雷神図屏風≫を模写した、尾形光琳筆の≪風神雷神図屏風≫に。

雷神の起源は中国であるが、風神は西域のさらに西に起源があるそうだ。

尾形光琳筆≪風神雷神図屏風≫。
二曲一双。紙本金地着色。重文である。

光琳得意の”たらし込み”。

重文、海北友松筆≪雲龍図≫もこの特別展の目玉のひとつ。
これは左の4幅。

その部分。
龍の眼、何を見る。

海北友松筆≪山水図屏風≫。
海北友松、狩野永徳、長谷川等伯とならび、「桃山の三大巨匠」と言われているようだ。
建仁寺は、桃山画壇を代表する海北友松の作品の宝庫だそうだ。

その細部。
<浅井長政の重臣海北綱親の子である友松は、独力で自らの画境を切り開いた。武人らしく気迫のこもった鋭い表現で水墨画を描いている>、とパンフ。

重文、海北友松筆≪琴棋書画図屏風≫。紙本墨画着色。

<琴棋書画は四芸とも言い、高士の嗜む余技とされた。ここでは通例の高士としてではなく、唐美人が楽しむ趣向で描いている>、と東博の説明文。
「栄西と建仁寺展」、多くのものを観た。
でも、今、憶えているのは、宗達と光琳の≪風神雷神図屏風≫と海北友松の作品のみ。
もちろん、上掲の光琳および海北友松の屏風二点は、特別展ではなく本館7室の展示を撮ったものである。