平安の秘仏 滋賀・擽野寺の大観音とみほとけたち。

滋賀県の擽野寺って知らなかった。そこから秘仏の大観音といずれも重文の仏さまが東博へ来ている。

9月末の東博。
ライトアップされている。

構内へ入る。
<平安の秘仏 総高5メートル超、大迫力の秘仏が東京へ>、と記されている。

本館内の垂れ幕も。

「秘仏」の表示、決して大袈裟ではないんだ。
50年以上前になるが、白洲正子が訪ねて行っている。が、見ていない。秘仏故。
少し長くなるが白洲正子の記述を引く。
<寺伝によると、延暦十一年(792)、伝教大師が延暦寺の用材を求めて、甲賀地方を回っていた時、この地で櫟の大木を発見し、霊夢を受けて十一面観音を生木に彫ったのが、この寺のはじまりであるという。それが本尊ということらしいが、秘仏なので拝観することはできない。・・・・・>(白洲正子『かくれ里』講談社文芸文庫 1991年刊)。

東博のハンフを複写。
たしかに巨大な十一面観音の座像である。

音声ガイドのナビゲーターは、「見仏記」のコンビ、みうらじゅんといとうせいこうであった。
彼らふたり、「『擽』普及委員会」の会長だそうだ。共に会長なのであろう。彼らふたり、かけあい漫才のようなガイドをする。まあ、それはそれで面白かった。
できるだけ座りたくなって以来、展覧会では音声ガイドを借りている。以前に較べ増えてきたソファに座り、展示は頭越しに少し見て、音声ガイドを聴いている。
このところの音声ガイドでは、ダリ展の竹中直人の音声ガイドがひどかった。
竹中直人の思い入れたっぷりの言葉はそれとして内容がない。料金が550円というのにも納得できない。音声ガイド、どこでも520円である。たった30円の差、さしたることではないが、何かどさくさ紛れに550円にしているように思える。
良かったのは、ゴッホとゴーギャン展の音声ガイド。私の知らないふたりの声優がゴッホとゴーギャンに扮し作品解説を行っていた。よかった。好感が持てた。
それはそれとし、みうらじゅんといとうせいこうのおふたりだ。
彼らも初めて擽野寺へ訪ねて行った時には、御本尊の十一面観音を見ることはできなかったそうだ。秘仏故。
その秘仏が東博へ来ている。
東博との間に、何らかの密約が交わされたのであろう。

秘仏の十一面観音、周り中360度見ることができる。後ろの光背の隙間からこの像を見ることができるという。
怒った顔ではあるが「大笑面」というこの像が。私は見ることができなかった。光背の隙間、上の方なので。

大きな十一面観音菩薩坐像の他にも、多くの仏さまがお出ましになっている。いずれも重文。
このような仏さま、甲賀様式と呼ぶそうだ。
「こうか様式」だそうだ。
学がない私、「甲賀」は「こうが」と読むと思っていた。濁らずに「こうか」と読むなんて知らなかった。「伊賀」、「甲賀」、忍者の里、共に濁って読むのだと思っていた。
「伊賀」は「いが」だが、「甲賀」は「こうか」。
司馬遼太郎の『街道をゆく』の7は、「甲賀と伊賀のみち」からはじまる。
伊賀から甲賀へ入るんだ。
司馬遼太郎の記述、白洲正子の記すものとは異なるが、それはそれとし気になることがある。
漢字の読みの問題である。
「近江国」は「おうみのくに」、「信楽」は「しがらき」とルビがふられている。しかし、「甲賀」にはルビがふられていない。「こうか」と言うのに。
おそらく多くの人は、「こうが」と濁って発音していたのではないか。私もそうである。

櫟野寺、重文20体のマスク。




先月初め、東博へ行った。
11月に入っていた。
上野公園の方から東博の方を見る。ずっと先の方、東博のライトアップ、擽野寺の十一面観音ではないか。

東博へ入る。
ひと月ばかりの間に、東博の景色、様変わりしている。十一面観音像。

「大笑面」か。

薬師如来像が。

重文・薬師如来坐像。
美しい。

擽野寺の秘仏・十一面観音菩薩坐像。
暗闇に現れたその面。