湖北・長浜逍遥(9) 己高閣、世代閣。

人もいない、物音もしないの輿志漏神社の境内を戻ると、そのすぐ横にこのような標識がある。

ンッ、こりゃ輿志漏神社の横というか裏というかのところじゃないか、と思う。
やはり、そうであった。

坂道を上ると、このような建物が現れた。
己高閣と書いてある。手前には事務所のようなものがあり、係のおじいさんがひとりいる。
そのおじいさんが案内をしてくれる。鍵を開けて、その内部を。十一面観音をはじめ多くの仏さまが入っている。

「古橋周辺案内図」もあった。
昨日今日、その左右の説明書きを利用させてもらっている。

少し離れたところ。
小さな仏塔や五輪塔が集まる先には、ンッ、つい先ほど目にした玉垣に囲まれた輿志漏神社の本殿が。先ほどは気づかなかったが、神仏習合である。

こちらには、このような標識が。
世代閣の文字。

係のおじいさん、今度はこちらを案内してくれる。鍵を持って。
何しろ、訪れる人は私以外誰もいないのだから。

己高閣は昭和38年、世代閣は平成元年に建設されたそうだ。
主に、廃寺となった旧鶏足寺の十一面観音をはじめとする仏像を収容している。

旧鶏足寺って、このようなこと。

このような仏さまが収容されている。

旧法華寺の仏さまも。
湖北・木之本、多くのお寺があった。が、それらのお寺、その多くは廃寺となり、また、無住の寺となった。
己高閣と世代閣、それらのお寺の仏さまを祀っている。

風雨に洗われ半ば剥げかけている看板があった。旧鶏足寺、多くの堂塔伽藍が。
「己高山・鶏足寺鳥瞰図」と記されている。
その下は読みづらいが何とか読むと、<己高山縁起により応永14年(1407年)頃の伽藍を想定したものである>、とある。とても大きな寺であったようだ。

こういう説明書きも。
この地を数多く訪れている白洲正子は、こう記している。
<木之本の付近には、弥生遺跡や古墳群があり、古いお寺もたくさん残っている。東の方に、いつも雪を頂いている山を己高(こたかみ)と名づけるが、それをめぐって己高七寺という修験道の名刹があった。行基と泰澄が開いた寺で、・・・・・、最澄が後に再興したという>(白洲正子著『かくれ里』 昭和46年 新潮社刊)。
また白洲正子、こうも記す。
<己高山の頂には、つい近年まで、鶏足寺という大きな寺が、半ば廃寺として遺っていたが、ある晩焼けてしまった。が、仏像は火災の前に下におろしてあったので助かったという。今、その群像は、木之本の東の与志漏神社に、収蔵庫を建てて入っており、・・・・・>(前掲書)、と。

係のおじいさん、あとふたつ小さなお堂へも案内してくれた。

共に中へ入ることはできない。
外から、格子を通して中を見る。

大日堂。

この格子を通し観音さまを見る。
この程度の写真では、格子の向こうの観音さまを見るのは難しかろう。
が、その現場に立ち会っている私には、格子を通した観音さまのお姿が見える。